フォルクング家
フォルクング家(スウェーデン語:Folkungaätten)またはビェルボ家(スウェーデン語:Bjälboätten)は、スウェーデンの司祭、ヤール(jarls)およびスウェーデン王を出したエステルイェートランド出身の貴族の家系[1]。14世紀には3人のノルウェー王および1人のデンマーク王も出ている。
起源
「フォルクング家」の名はおそらく実在が確実な最古の先祖の名から来ていると思われる。それは1000年頃のフォルケもしくはキリスト教以前の時代の伝説上の先祖フォルケ(Folke Filbyter)のどちらかであろう[2]。また、フォルクング党との区別のため、ビルイェル・ヤールが住んだ同家の最古の荘園の名から「ビェルボ家」の名称が使われることもある。ビェルボはエステルイェートランドにあり、現在のミェルビューのスカンニンジュの外側に位置する。16世紀までスウェーデンでは姓はあまり使われておらず、一族自身はこれらの家名は用いていないため、どちらがより良いということはいえない[3]。
ヤールと司教
同家は11世紀から13世紀にかけて、1266年に廃止されるまでヤールをもっとも多く輩出した。分家とはしばしばヤール位を巡って争った。この時代のスウェーデン王もほとんどがエステルイェートランド出身であった。
1100年頃に、インゲ1世のもとでフォルケ肥満公(Folke den tjocke)が同家で初めてヤールになったが、おそらくこれが最初の全スウェーデンのヤールと考えられている。フォルケはデンマーク王クヌーズ4世の娘と結婚したが、伝説によると、フォルケは同家で出世した最初の人物といわれる。フォルケの息子たちの子孫についてはよく知られているが、他の親族については何も伝わっていない。
同家出身のヤールとしては他に、ビルイェル・ブローサ、聾者カール(Karl Döve)、ウルフ・フォースおよびビルイェル・ヤール(Birger jarl)が知られている。13世紀の初め、同家からノルウェーに移住し、ヤールとなった者もあらわれた。同家は後に王家となった後も、ヤール位を保持しつづけた。
13世紀にはリンシェーピング司教も何名か輩出している。リンシェーピング司教区にはエステルイェートランドも含まれていた。リンシェーピング司教はしばしば東方活動に従事している。
王位の獲得
ビルイェル・ヤールの子ヴァルデマール1世は1250年にスウェーデン王に選ばれた。フォルクング家は他のスウェーデン王家との婚姻を重ね、最終的にそれらすべての王家と姻戚関係を持つようになった。そのため、エリク家の最後の王エリク11世が後継者なく死去した時、エリク11世の姉妹とビルイェル・ヤールとの間の子であるヴァルデマールが最も王位を継承するのにふさわしいとされたのである。
同家は1364年までスウェーデン王位を保持した。1319年から1387年までは、ノルウェー王位も同家が保持した。以後のほとんどのスウェーデン、ノルウェーおよびデンマーク王家はフォルクング家の血を引いている。
系図
フォルケ肥満公? | インゲゲルド (デンマーク王クヌーズ4世娘) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ベンクト | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ブリギダ (ノルウェー王ハーラル4世娘) | ビルイェル・ブローサ | エリク家 | マグヌス | カール (聾者) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
インゲヤード =スヴェルケル2世 | エリク11世 スウェーデン王 | インゲボリ (スウェーデン王エリク10世娘) | ビルイェル・ヤール | メヒティルト (ホルシュタイン伯アドルフ4世娘) | ウルフ・フォース | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
リクザ 1=ノルウェー王子ホーコン 2=ヴェーレ侯ハインリヒ1世 | ヴァルデマール1世 | ソフィア (デンマーク王エーリク4世娘) | マグヌス3世 | ヘルヴィヒ (ホルシュタイン伯ゲルハルト1世娘) | カタリーナ =アンハルト=ツェルプスト侯ジークフリート1世 | インゲボリ =ラウエンブルク公ヨハン1世 | ベンクト フィンランド公 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
インゲボリ =ホルシュタイン伯ゲルハルト2世 | リキッサ =ポーランド王プシェミスウ2世 | インゲボリ =デンマーク王エーリク6世 | ビルイェル | マルタ (デンマーク王エーリク5世娘) | エリク セーデルマンランド公 | インゲビョルグ (ノルウェー王ホーコン5世娘) | クリスティーナ (トルケル・クヌットソン娘) | ヴァルデマール フィンランド公 | インゲボルグ (ノルウェー王エイリーク2世娘) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
マグヌス | マグヌス4世 ノルウェー王 | ヴァルデマー4世 デンマーク王 | エウフェミア | アルブレヒト2世 メクレンブルク=シュヴェリーン公 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
エリク12世 | ホーコン6世 ノルウェー王 | マルグレーテ1世 | インゲボー | ハインリヒ3世 メクレンブルク=シュヴェリーン公 | アルブレクト スウェーデン王 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
オーロフ2世 デンマーク王 ノルウェー王 | ヴァルティスラフ7世 ポメラニア公 | マリア | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
エーリク・ア・ポンメルン デンマーク王 ノルウェー王 スウェーデン王 | カタリーナ | ヨハン プファルツ=ノイマルクト公 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
クリストファ・ア・バイエルン デンマーク王 ノルウェー王 スウェーデン王 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
脚注
参考文献
- Nordisk familjebok (1908).
- Lindkvist, Thomas with Maria Sjöberg (2006) Det svenska samhället 800-1720. Klerkernas och adelns tid, Andra upplagan (Lund: Studentlitteratur) ISBN 91-44-01181-4
- Starbäck, Georg; P.O. Bäckström (1885–1886) Berättelser ur svenska historien (Stockholm: F. & G. Beijers Förlag)
- 百瀬宏他 編『新版 世界各国史21 北欧史』山川出版社、1998年
- 下津清太郎編『世界帝王系図集 増補版』近藤出版社、1982年
- Jiří Louda、Michael Maclagan、Lines of Succession、Little、Brown & Company、1981.