ヒバゴン
ヒバゴンは、日本に生息すると言われている、類人猿型の未確認動物のひとつ。1970年代に、広島県比婆郡西城町油木・比婆郡比和町・庄原市(2023年現在は市町村合併により全域が庄原市[1])の中国山地にある比婆山連峰において目撃された。また、類似する個体が北海道旭川市でも目撃されている。
ヒバゴンの名称は比婆山(ひばやま)からきている。中国新聞庄原市局長の宮尾英夫が命名した。
特徴
目撃史
- 1970年(昭和45年)7月20日:油木地区のダム付近をトラックで走行中の男性が、道路を横切り林の中に消えた怪物を目撃。姿形はゴリラに似て、子牛ほどの大きさがあったという[2]。
- 1970年(昭和45年)7月23日:同地区の農家に住む男性が、大人の背丈ほどの全身が黒い毛で覆われ、頭部が異様に大きく、顔は人間に似ている怪物と遭遇[3]。以後、ダムを中心に3キロ四方で同様の怪物の目撃例があいつぐ。
- 1970年(昭和45年)12月:吾妻山で、雪原に怪物のものとみられる足跡が発見される。12月だけでも合計12件の目撃報告があった。
- 1974年(昭和49年)6月20日:庄原市川北町須川の市町境に位置する山間の道で、全身毛むくじゃらで身長1.6メートルほどの怪物を男性が目撃。胴は人間の2倍ほどもあり、怪物は男性の乗った車にびっくりしたような仕草で、林に姿を消した[4]。
- 1974年(昭和49年)7月15日:比和町で、女性が自宅の目の前を通っている県道に茶色の体毛の、足は人間のような1.6メートルの「大ザル」が立っているのを目撃。歩き方もサルそっくりだったといい、女性はヒバゴンを「年をとった大ザル」と思ったという[5]。
- 1974年(昭和49年)8月15日:庄原市濁川町で目撃された際、写真撮影に成功したとされる[6]。撮影した男性は、県道付近で道路の真ん中あたりで四つ足になったり、二本足で立ったりして歩いている怪物を目撃。車で近づくと怪物は山の中の柿の木に飛びつき、その瞬間を撮影した。怪物は約1・5メートル、全身ネズミ色の毛で覆われており、首の周りは白かった。怪物は山に逃げる際に近くの田んぼに「足跡」を残していた。ただし、写真は不鮮明で、専門家はサルかクマではないかとコメント。ヒバゴンの目撃者も写真の生物について「(写真に写っているのは)ヒバゴンではない。サルだ」と否定的であった[7]。
- 1974年(昭和49年)10月11日:写真が撮られた現場近くの濁川町の県道で目撃された。これを最後にヒバゴンの目撃報告は途絶えてる。
ヤマゴン
1980年(昭和55年)10月20日午前6時40分頃、広島県福山市山野町田原の県道において、農作業を終えた男性が乗用車で帰宅中に身長1・5メートル、黒色の顔で腹部を除いて全身灰褐色の毛で覆われたゴリラのような怪物と遭遇した。怪物は山に逃げる際、四つ足になり5メートル下の原谷川の土手をすべり降り、川を膝までつかりながらものすごいスピードで渡りきり、川から上がるとサルのように木々をつたいながら山中に消えていったという[8]。1981年(昭和56年)には山野町田原のヘルスセンター前の県道で30センチほどの「足跡」が見つかっている。1980年の目撃よりも4年前に地元のタクシー運転手が怪物を目撃しており、当時は注目されず地元紙に小さく載るだけであったが、山野町は一連の目撃証言と足跡発見に「観光資源」として注目。ヒバゴンに倣い「ヤマゴン」と命名した。ヤマゴンについては比婆山にいたヒバゴンと同一個体であり、比婆から山野町まで移動したのでは?とも推測された[9]。実際、最初の目撃者が記憶を元に描いたヤマゴンのスケッチをヒバゴンの目撃者に見せたところヒバゴンと同じであると答えたとされる。ヤマゴンもヒバゴン同様、1980年の目撃を最後に消息は途絶えている。
影響
1971年(昭和46年)4月に、地元の自治体(広島県比婆郡西城町役場)に類人猿係が創設された。町には目撃者から話を聞こうとマスメディアが殺到したため、日常生活に支障が出るとして、自治体は目撃者に「迷惑料」5千円を支給している[10]。その後、1975年(昭和50年)3月に類人猿係は廃止された。同時に、自治体による「ヒバゴン騒動終息宣言」が出された。
広島東洋カープで「炎のストッパー」と呼ばれた津田恒実は、高校時代から怪物投手と騒がれ、「ツネゴン」と呼ばれた。
重松清は、ヒバゴン騒動を基に小説『いとしのヒナゴン』を執筆した。同作、およびそれを映画化した『ヒナゴン』に登場するUMAヒナゴンは、ヒバゴンをモデルにしている。また、小松左京は短編小説『黄色い泉』で、ヒバゴンと同じ比婆山に墓所の伝承がある、イザナミの神生み神話に登場する雷神とヒバゴンを関連付けて考察している。
2020年(令和2年)に比婆山で発見された昆虫ハネカクシの新種は、発見者の庄原市職員で比和支所勤務の千田喜博によって「ラトロビウム ヒバゴン」と命名され日本昆虫分類学会に認定された[11]。
正体の可能性
全てのUMAに言えることであるが、何かの見間違いである可能性がつきまとっている。ヒバゴンの場合、ツキノワグマかニホンザルである可能性が高い(ただし地元の人に言わせれば、熊が現れるのはもっと山奥で、ヒバゴンが目撃された地点では熊の餌がないという)。動物学者の今泉忠明は、ヒバゴンはその大きさを除けばニホンザルそのものであり、ニホンザルの老いた個体が群れから脱落し、人里に現れたのではないかと推察している[12]。
真偽不明なるもフジテレビの番組『世界の何だコレ!?ミステリー』(2017年5月17日放映)によると、後年、ヒバゴン目撃エリアで正体が分からない獣の死骸を見つけて撮影・埋葬した住民がいた。「死骸」とされる物の写真は残っているが、住民が死去しているため埋葬地点は不明で、掘り起こしての調査は行われていない[13]。
なお、比婆山にある熊野神社には天変地異があると度々比婆山に現れたと伝わる天御中主尊(アメノミナカヌシノカミ)の姿を描いたという絵巻物が残されており、地元住民の間で「神様がヒバゴンに姿を変えて現れたのでは」と語る者もいた。
脚注
- “庄原市の沿革 | 広島県庄原市のホームページへようこそ”. www.city.shobara.hiroshima.jp. 2023年5月18日閲覧。
- 宇留島進 『日本の怪獣・幻獣を探せ!』廣済堂文庫 1993年、60頁
- 宇留島進 『日本の怪獣・幻獣を探せ!』廣済堂文庫 1993年、61頁
- 宇留島進 『日本の怪獣・幻獣を探せ!』廣済堂文庫 1993年、62頁
- 宇留島進 『日本の怪獣・幻獣を探せ!』廣済堂文庫 1993年、63頁
- 横山雅司「比婆山の怪獣ヒバゴン伝説」(ASIOS『謎解き超常現象III』彩図社・2012年、252頁)
- 宇留島進 『日本の怪獣・幻獣を探せ!』廣済堂文庫 1993年、65頁~68頁
- 宇留島進 『日本の怪獣・幻獣を探せ!』廣済堂文庫 1993年、72頁~74頁
- 宇留島進 『日本の怪獣・幻獣を探せ!』廣済堂文庫 1993年、79頁
- https://www.asahi.com/articles/ASN7K6R9LN7KPITB00G.html
- 中国新聞2020年7月25日朝刊25面
- 今泉忠明 『動物百科 謎の動物の百科』 株式会社データハウス 1994年、55頁
- “#46・5月17日(水)放送分 日本で起きた謎の事件SP”. 番組公式サイト. 2017年5月18日閲覧。