ヴァーン・シュパン
ヴァーン・シュパン(Vern Schuppan、1943年3月19日 - )はオーストラリア出身[1]のレーシングドライバーである。1983年のル・マン24時間レース優勝者。バーン・シュパンと表記することもある。
ヴァーン・シュパン | |
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基本情報 | |
国籍 | オーストラリア |
生年月日 | 1943年3月19日(80歳) |
F1での経歴 | |
活動時期 | 1972, 1974 - 1975, 1977 |
所属チーム | BRM, エンサイン, ヒル, サーティース |
出走回数 | 13 (9 starts) |
優勝回数 | 0 |
表彰台(3位以内)回数 | 0 |
通算獲得ポイント | 0 |
ポールポジション | 0 |
ファステストラップ | 0 |
初戦 | 1972年ベルギーGP |
最終戦 | 1977年オランダGP |
略歴
カートからイギリスのフォーミュラ・フォードでレースデビュー[1]。1971年イギリス フォーミュラ・アトランティックチャンピオンを獲得[1]した。1972年以降フォーミュラ1に9戦出場[1]。1981年にマクラーレン・M24でインディ500に出場し3位を獲得した[1]。
1981年のインディ500[1]でペンスキーのリック・メアーズ[1]が給油中の火災で火傷を負い、1981年のル・マン24時間レースに出場できなくなり、その代役としてヨッヘン・マス[1]/ハーレイ・ヘイウッド[1]との組でジュールズがスポンサード[1]するポルシェワークス[1]のポルシェ・936[1]で出場した。ただこの時はトラブルが多く、まず点火プラグが不調、次にトランスミッションが不調となり、どちらもすぐに2番手まで回復したがシュパンが運転中に燃料噴射装置が故障、応急処置を施し1時間程掛かったもののピットに戻り、12位で完走した。
1981年の実績から[1]レース部門責任者だったヘルムート・ボット[1]が1982年のWECとル・マン24時間レースへの出場を打診、1982年のル・マン24時間レースにはヨッヘン・マス[1]との組でポルシェ・956[1]を運転し2位入賞した[1]。
1983年のル・マン24時間レースではアル・ホルバートとの組[1]でポルシェ・956[1]に乗った。残り2時間で左側ドアが吹き飛び[1]冷却不足になりエンジンが過熱[1]、アル・ホルバートがエンジンから白煙を吐かせながらも[1]だましだましゴールまで走らせて優勝した[1]。
1983年から始まった全日本スポーツプロトタイプカー耐久選手権に藤田直廣とのチームで参戦(トラストポルシェ・956)[1]、後に自らのチームを作ってポルシェ・962Cを走らせ[1]、シュパン・962CRを企画[1]した。
レース戦績
マカオグランプリ
年 | チーム | シャーシー/エンジン | 予選 | レース1 | レース2 | 総合順位 |
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1974年 | セオドール・レーシング | マーチ・722 フォード | 3位 | 位 | 位 | 1位 |
1975年 | セオドール・レーシング | マーチ・722 フォード・BDA | 2位 | 位 | 位 | 不明 |
1976年 | セオドール・レーシング | ラルト・RT1 フォード・BDA | 3位 | 位 | 位 | 1位 |
1977年 | ジョン・マクドナルド | ラルト・RT1 フォード・BDA | 3位 | 位 | 位 | Ret |
1979年 | セオドール・レーシング | マーチ・792 フォード・BDA | 13位 | 位 | 位 | Ret |
1983年 | Equipe 66 | ラルト・RT3 トヨタ | 21位 | 17位 | Ret | NC |
全日本フォーミュラ2000選手権
年 | 所属チーム | マシン | エンジン | タイヤ | 車番 | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 順位 | ポイント |
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1973年 | Singapore Airlines | マーチ・722 | コスワース・BDA | F | 6 | FSW Ret |
SUZ | SUZ | SUZ | NC | 0 | |
1975年 | SABENA セオドール・レーシング | ラルト・RT1 | ハート・420R | G | 11 | FSW | SUZ | FSW | SUZ | SUZ 4 |
-[2] | -[2] |
ル・マン24時間レース
ル・マン24時間レース 結果 | |||||||
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年 | チーム | コ・ドライバー | 使用車両 | クラス | 周回 | 順位 | クラス 順位 |
1973年 | ガルフ・リサーチ・レーシング | マイク・ヘイルウッド ジョン・ワトソン |
ミラージュ・M6-コスワース | S 3.0 |
112 | DNF | DNF |
1974年 | レイネ・ウィセル | ガルフ・GR7-コスワース | S 3.0 |
49 | DNF | DNF | |
1975年 | ジャン=ピエール・ジョッソー | ミラージュ・GR8-コスワース | S 3.0 |
330 | 3位 | 3位 | |
1976年 | グランド・ツーリング・カーズ | デレック・ベル | S 3.0 |
336 | 5位 | 4位 | |
1977年 | グランド・ツーリング・カーズ ミラージュ・ルノー |
ジャン=ピエール・ジャリエ | ミラージュ・GR8-ルノー | S +2.0 |
331 | 2位 | 2位 |
1978年 | グランド・ツーリング・カーズ | ジャック・ラフィット サム・ポージー |
ミラージュ・GR9-ルノー | S +2.0 |
293 | 10位 | 5位 |
1979年 | グランド・ツーリング・カーズ フォード・コンセッショナリーズ・フランス |
ジャン=ピエール・ジョッソー デヴィッド・ホッブス |
ミラージュ・M10-コスワース | S +2.0 |
121 | NC | NC |
デレック・ベル デヴィッド・ホッブス |
S +2.0 |
262 | DNF | DNF | |||
1981年 | ポルシェ・システム | ヨッヘン・マス ハーレイ・ヘイウッド |
ポルシェ・936 | S +2.0 |
312 | 12位 | 2位 |
1982年 | ロスマンズ・ポルシェ・システム | ヨッヘン・マス |
ポルシェ・956 | C | 356 | 2位 | 2位 |
1983年 | ハーレイ・ヘイウッド アル・ホルバート |
C | 370 | 1位 | 1位 | ||
1984年 | ポルシェ・クレマー・レーシング | アラン・ジョーンズ ジャン=ピエール・ジャリエ |
C1 | 337 | 6位 | 6位 | |
1985年 | ロスマンズ・ポルシェ AG | アル・ホルバート ジョン・ワトソン |
ポルシェ・962C | C1 | 299 | DNF | DNF |
1986年 | ヨッヘン・マス ボブ・ウォレク |
C1 | 180 | DNF | DNF | ||
ドレイク・オルソン |
C1 | 41 | DNF | DNF | |||
1987年 | ヨッヘン・マス ボブ・ウォレク |
C1 | 16 | DNF | DNF | ||
1988年 | ポルシェ AG | ボブ・ウォレク サレル・ヴァン・デル・メルヴェ |
C1 | 192 | DNF | DNF | |
1989年 | チーム・シュパン | エイエ・エリジュ ゲイリー・ブラバム |
C1 | 321 | 13位 | 10位 |
出典
- 『Racing On』466号 pp.54-57。
- JAF(日本自動車連盟)ライセンスではない外国ライセンスドライバーはポイント対象外。