日産・スカイラインターボC

日産・スカイラインターボCは、1983年全日本耐久選手権(後のJSPC)、および富士ロングディスタンスシリーズ(富士LD)参戦用にガレージルマン(現 株式会社ルマン)が開発したR30スカイラインがベースのグループCカーである[1]1982年南アフリカキャラミ9時間耐久に参戦したスカイラインターボGr.5がベースになっている。エンジンは日産LZ20B型(2.1リットル・直列4気筒ターボ)を搭載している。

日産・スカイラインターボC
カテゴリー グループC
コンストラクター 日産自動車
先代 スカイライン スーパーシルエット
後継 LM・04C
主要諸元
シャシー チューブラーフレーム
全長 mm (in)
全幅 mm (in)
全高 mm (in)
エンジン 日産 LZ20B型 2.1L (2,100cc) 直列4気筒ガソリン ターボ フロントエンジン, 縦置き
トランスミッション 5速 Doug Nash manual gearbox
燃料 カストロール
オイル カストロール
タイヤ ダンロップ
主要成績
チーム ハセミモータースポーツ ガレージルマン
ドライバー 日本の旗長谷見昌弘
日本の旗都平健二
初戦 富士500km
出走優勝ポールFラップ
5000
1983年8月26日、鈴鹿1000kmレースにてピットゲートからスターティンググリッドへ向かうスカイラインターボCトミカ。

概要

1982年8月、スプリント用のスカイライン・スーパーシルエットとは別に、日産の追浜ワークス、ガレージルマン(現 株式会社ルマン)、東京R&Dの共同プロジェクトとして、耐久レース用のスカイラインのグループ5(シルエットフォーミュラ)を製作。期待されたWEC-JAPANへの参戦はならなかったが、11月6日に南アフリカ キャラミ9時間Category2(Gr.4 and 5)に元F1ドライバーのDavid Hobbs(GB)、長谷見昌弘(J)、ラリーレジェンドのTony Pond(GB)のドライブにより参戦した[2]が、アクシデントでリタイヤに終る(エントリーリストの車名はDatsun Skyline[3]。カーナンバーは14)。

1983年、前年までスプリントのスーパーシルエットシリーズに日産車で参戦していたホシノレーシングセントラル20、そしてハセミモータースポーツにエンジン供給・資金援助で日産は耐久レースへの参入を依頼する。トムスで一括して耐久レースに参戦したトヨタと異なり、日産は3チームそれぞれ独自のアプローチをした。 ハセミモータースポーツは、前年南アフリカに遠征した耐久仕様のスカイライン・シルエットGroup5の車がすでにチューブラーフレームのレーシングマシンであったため、本物の耐久プロトタイプの良いベースになると考え、グループC規定に合致するよう改造。ルーフを切り詰め車高を下げ、さらに幅広で、より長いボディスタイルにされ、車の全体的な形状は押し下げられ、ウイングも低く大型化されて空力プロファイルは低下した。しかし、グループC規定に合わせたとは言え、元は市販車のスカイラインであるがゆえ、世界で唯一のフロントエンジンのグループCカーとなった[注釈 1]。熱処理に苦労しコクピットは灼熱だったという。ドライビングシューズのゴム底が溶け、車を降りてすぐ足を冷やす必要があった談話が残る。レースを完走できた事が無く、成績は伴わなかったが、迫力あるスタイルからポルシェに優る人気を誇り、ポスター類もよく売れたという。

1984年より、ハセミモータースポーツも本格的なミッドシップのCカー、LM・04C/日産にマシンをチェンジすることとなる。 なお、「スカイラインターボC」の名前は、1984年のLM・04C、1985年のマーチ・85G/日産にも受け継がれるが、両車とも市販のスカイラインとの関連性は一切ない純粋なグループCカーである。

戦績

6/5 富士ロングディスタンスシリーズ Rd.1 富士500km

カーナンバーは11[4]。FLDSクラスD。デビュー戦のこのレースではスタートでトラストのポルシェ・956を交わしトップに立ち、ヘアピンまでは順位をキープするも、コントロールラインに戻ってくるまでには首位を奪われ、LAPリーダーとは記録されなかった。ドライバーは長谷見昌弘都平健二。43周でクラッシュ、サスペンションアクシデントでリタイア。

7/24 富士ロングディスタンスシリーズ Rd.2 富士1000km

カーナンバーは11[5][6]。FLDSクラスD。マイナートラブルで緊急ピットインしたポルシェに替わり首位に立ち、国産グループCカー初のLAPリーダーとなる。139周エンジンオーバーヒートトラブル、リタイヤ。

8/28 全日本耐久選手権 Rd.2 鈴鹿1000km

カーナンバーは11[7]。Gr.Cクラス。106周でリタイア。

10/2 全日本耐久選手権 Rd.3、WEC Rd.6 WEC-JAPAN

カーナンバーは10[8]。Gr.Cクラス。富士スピードウェイ[9]世界スポーツカー選手権を兼ねるレースなので、Rothmansポルシェ956やザウバーC7 BMWが参戦。マツダ717C、アルバAR2、ロテックM1C BMWと2台のMCS車など下位のグループCジュニアクラスも参加した。このレース以降ハセミモータースポーツは、Group5の面影が残る未改造だった左右ドアに、ボトルネックの前後オーバーフェンダーの隙間を埋めるために目立つフィラーパネルを取り付けた。予選は16位。88周でオイルリークに見舞われリタイア。

11/27 富士ロングディスタンスシリーズ Rd.3 富士500マイル

カーナンバーは11[10]。FLDSクラスD。29周エンジンオーバーヒートトラブル。リタイア[11]

注釈

  1. スポーツカーとしては同時期にIMSA-GTPのフォード・マスタングGTPがある。

出典

  1. 別冊モーターマガジン スカイラインNo.3長谷見氏インタビュー掲載
  2. レーシングスポーツカーズドットコム
  3. レーシングスポーツカーズドットコム WECなのにフジ1000kmと書いてあるのが間違い?
  4. レーシングスポーツカーズドットコム
  5. レーシングスポーツカーズドットコム
  6. レーシングスポーツカーズドットコム フジ1000Kmは誤表記?
  7. レーシングスポーツカーズドットコム
  8. レーシングスポーツカーズドットコム

関連項目

外部リンク

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