ムアンナーン郡

ムアンナーン郡(ムアンナーンぐん)はタイ北部・ナーン県にある郡(アムプー)である。ナーン県の県庁所在地(ムアン)でもある。

ムアンナーン郡
ムアンナーン郡の位置
情報
タイ語名 อำเภอเมืองน่าน
ナーン県
地理番号 5501
郵便番号 55000
統計
面積 813.126 km2
人口 81,277 人 (2005年)
人口密度 100.0 人/km2
行政

名前

「ナーン」とは境界線と言う意味である。また中国語の「南」が転化した物ではないかとする説もある。なお、ナーンの名称自体はナーンを流れる川、「ナーン川」に由来する。

パーリ語で書かれた歴史書には『ジナカーラマーリー』ではカーヴァラージャナガラと呼ばれているがこれはカーオと呼ばれる人(タイ族の一派である。[1])が住む地域という意味である。この為カーオナーンとするタムナーン(年代記)も存在する。通常古くはナンタブリー (นันทบุรี) 、ナンタブリーシーナコーンナーン (นันทบุรีศรีนครน่าน) などと仰々しく呼ばれていたが、次第に簡素化していき現在のようにナーンという名前が一般に定着した[2]

公的には1899年、クウェーンナコーンナーン (แขวงนครน่าน)となり、1914年ナーンとなった。

歴史

詳細はカーオ王国ナーン王国を参照。

ナーンはカーオ王国の君主であったパーコーンによって1368年8月に建設され、ナーン王国の首都となった[3][4]が内紛とスコータイ王国の干渉に悩まされ弱体化した。

1449年ごろにはラーンナーの覇権拡大を目指すティローカラートによってナーンはついにラーンナーの覇権下に入った。その後、ナーンはラーンナー様式を積極的に取り入れ、それまで有力であったスコータイ様式をしのいだ。これの良い例が1475年ごろに再建されたワット・プラタートチェーヘーンである。その後100年程度ラーンナー王朝による支配が続いた[5]

ナーン国立博物館。ナーン国王のスリヤポンパリッティデート王によって立てられた[6]

1560年ナーンはビルマ・タウングー王朝の覇権下に入りその下で主要な都市として機能した。1726年、ビルマのコンバウン王朝はチエンマイ出身のティンマハーウォンをナーンの国主として任命。その後、シャム・チャクリー王朝とビルマの勢力の干渉を受け、お家騒動が続いたが、1931年までティンマハーウォンの一族による世襲が行われマハープロムスラターダー王までナーンの国主の世襲は続いた[7]

このころ、18世紀後半から19世紀初頭にかけてはチーク材の宝庫としてナーンは注目され繁栄の絶頂期にあり、外国の投資まで行われたチーク材の伐採がナーン県の近辺で行われナーンはその集積・取引の中心となった[8]。しかし、1904年タイ政府が現在のナーン県の東部にあたる(現・ラオス、サイニャブーリー県)をフランス領インドシナに割譲したことにより、ナーンの経済的地位は下がっていった。

ラーマ5世(チュラーロンコーン)のチャクリー改革以降、ナーンは君主がありながら内務省の下位の法人となり、1899年、内務省の省令によりナーンは「クウェーンナコーンナーン」となった。1914年にはアンムプームアンとしての行政区分が与えられ、現在のナーン市の原型を形成した。1997年2月1日にはナーン市から一部がプーピエン分郡として分離している。

地理

市はナーン川の形成した台地に位置する。東西は山脈に囲まれており、ナーン川の流れる南に向かってなだらかな斜面となっている。市の北部には豊かな森林地帯があり、パートゥーン森林公園に指定されている。

市内の主要な道路は国道101号線で北はラオス・サイニャブリー県、ムアングンに南は国道101号線は国道11号線に続きウッタラディットピッサヌロークなどに通じている。西にはパヤオと国道1091号線、1251号線で通じている。なお、空の玄関口としてナーンナコーン空港もある。

経済

地域の主な産業は農業で、ソム・シートーンとよばれるミカンの生産が盛んである。

寺院

行政区分

郡は11のタムボンに分かれその下位に、105の村が存在する。ナーン中心部は自治体(テーサバーン)があり以下のようになっている。

  • テーサバーンムアン・ナーン・・・タムボン・ナイウィエン

郡内には10のタムボン行政体(オンカーンボーリハーンスワンタムボン)が設置されている。以下は市内のタムボンの一覧である。内、欠番はナーン郡から分離してプーピエン分郡として成立した郡である。

  1. タムボン・ナイウィエン・・・ตำบลในเวียง
  2. タムボン・ボー・・・ตำบลบ่อ
  3. タムボン・パーシン・・・ตำบลผาสิงห์
  4. タムボン・チャイサターン・・・ตำบลไชยสถาน
  5. タムボン・トゥームトーン・・・ตำบลถืมตอง
  6. タムボン・ルアン・・・ตำบลเรือง
  7. タムボン・ナーチャーオ・・・ตำบลนาชาว
  8. タムボン・ドゥータイ・・・ตำบลดู่ใต
  9. タムボン・コーンクワーイ・・・ตำบลกองควาย
  10. タムボン・サウォック・・・ตำบลสวก
  11. タムボン・サニエン・・・ตำบลสะเนียน

脚注

  1. これについては、 The Nan Chronicle, trans. and ed. by David K. Wyatt, Ithaca: Cornell University, 1994, ISBN 9780877277156 の40頁注4参照のこと。
  2. นามเมืองน่าน - N@N น่าน Archived 2010年10月19日, at the Wayback Machine.
  3. The Nan Chronicle, trans. and ed. by David K. Wyatt, Ithaca: Cornell University, 1994, p.48. See also note 2
  4. พื้นเมืองเชียงแสน ดร.นิธิ เอียวศรีวงศ์ บรรณาธิการ, สรัสวดี อ๋องสกุล ปริวรรต ตรวจสอบ และ วิเคราะห์, กรุงเทพฯ: สำนักพิมพ์อมรินทร์, 2546, p.11 ISBN 9789748364742
  5. ประวัติศาสตร์ - N@N น่าน Archived 2010年10月19日, at the Wayback Machine.
  6. ประวัติความเป็นมา (Thai). พิพิธภัณฑสถานแห่งชาติน่าน. 2008年2月20日閲覧。
  7. Wyatt, David K.: "Assult by Ghosts: Politics Religion in Nan in the Eighteenth Century," Studies in Thai History, Chian Mai: Silkworm Books, 1994, ISBN 9789747100280
  8. The Nan Chronicle, trans. and ed. by David K. Wyatt, Ithaca: Cornell University, 1994, p.9

外部リンク

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