トマス・ペラム (初代チチェスター伯爵)

初代チチェスター伯爵トマス・ペラム: Thomas Pelham, 1st Earl of Chichester, PC1728年2月28日 - 1805年1月8日)は、イギリスの政治家・貴族。

経歴

1728年2月28日トマス・ペラムとその妻アネッタ(旧姓ブリッジス)の間の長男として生まれる[1][2]首相を務めたヘンリー・ペラムと初代ニューカッスル公爵トマス・ペラム=ホールズいとこ伯父にあたる。

ケンブリッジ大学で数カ月だけ学び、その後海外に出てフィレンツェハノーファーで過ごした[2]1749年12月13日ライ選挙区から当選して庶民院議員となる[2]1754年には親族の首相ニューカッスル公の後援を受けてサセックス選挙区の議席を得るとともに通商委員会委員(Commissioner of Trade)に任命される[2]1761年から1762年にかけては海軍下級卿(Lord of the Admiralty)に就任[2][1]

1762年にニューカッスル公にスタンマーのペラム男爵の爵位が与えられたが、この爵位は特別継承権で彼に継承が可能であった[2]

1765年7月に第2代ロッキンガム侯爵チャールズ・ワトソン=ウェントワースの内閣が成立すると、王室会計監査官に就任するとともに枢密顧問官に任じられた[2]

1768年11月にニューカッスル公が死去し、第2代スタンマーのペラム男爵位を継承した[2]

1774年から1775年にかけて南トレントの巡回裁判官を務め、ついで1775年から1782年にかけて衣服長官を務めた[2][1]

1801年6月23日には連合王国貴族チチェスター伯爵位を授与された[2][1]

1805年1月8日にサセックス・スタンマーの自邸で死去した[2][1]

栄典

爵位・準男爵位

家族

1754年6月、アン・フランクランドと結婚し、彼女との間に以下の6子を儲ける[1]

  • 第1子(長女)ヘンリエッタ・アン・ペラム (-1797) : 第13代ロセス伯爵ジョージ・グランヴィルと結婚。
  • 第2子(次女)フランセス・ペラム (-1783) : 第4代ミドルトン子爵ジョージ・ブロドリックと結婚。
  • 第3子(長男)トマス・ペラム (1756-1826) : 第2代チチェスター伯爵
  • 第4子(次男)ヘンリー・ペラム (1759-1797)
  • 第5子(三男)ジョージ・ペラム (1766-1827) : イングランド国教会聖職者。ブリストル主教
  • 第6子(三女)ルーシー・ペラム (1779-1797) : 初代シェフィールド伯爵ジョン・バーカー・ホルロイドと結婚。

出典

  1. Lundy, Darryl. Thomas Pelham, 1st Earl of Chichester (英語). thepeerage.com. 2015年8月25日閲覧。
  2. Norgate, Gerald le Grys (1895). "Pelham, Thomas (1728-1805)" . In Lee, Sidney (ed.). Dictionary of National Biography (英語). 44. London: Smith, Elder & Co. p. 252.

関連図書

外部リンク

グレートブリテン議会
先代
フィリップス・ギボン
サー・ジョン・ノリス
ライ選挙区
選出庶民院議員

1749年1754年
同職:フィリップス・ギボン
次代
フィリップス・ギボン
ジョージ・オンスロー
先代
ヘンリー・ペラム
ジョン・バトラー
サセックス選挙区
選出庶民院議員

1754年1768年
同職:ジョン・バトラー 1754–1767
ジョージ・レノックス卿 1754–1768
次代
ジョージ・レノックス卿
リチャード・ハーコート
宮廷職
先代
チャールズ・スペンサー卿
王室会計監査官
1765年1774年
次代
サー・ウィリアム・メレディス3代準男爵
先代
第2代アシュバーナム伯爵
衣服長官
1775年 - 1782年
廃止
イギリスの爵位
爵位創設 初代チチェスター伯爵
1801年1805年
次代
トマス・ペラム
グレートブリテンの爵位
先代
トマス・ペラム=ホールズ
第2代スタンマーのペラム男爵
(繰上勅書により生前に爵位譲る)

1768年1801年
次代
トマス・ペラム
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