ディルホーン子爵
経歴
マニンガム=ブラー家に与えられた最初の世襲称号は、庶民院議員エドワード・マニンガム=ブラー(1800–1882)が、1866年1月20日に叙された連合王国準男爵位「スタッフスのディルホーン・ホールのマニンガム=ブラー準男爵」である[1]。
その曾孫にあたる第4代準男爵サー・レジナルド・エドワード・マニンガム=ブラー(1905–1980)も、保守党の庶民院議員となり、保守党政権下で大法官(貴族院議長)を務めた。その就任のために1962年7月17日に連合王国貴族爵位ノーザンプトン州におけるトウスターのディルホーン男爵に叙せられ、貴族院議員となった。ついで1964年12月7日にはノーザンプトン州におけるグリーンズのノートンのディルホーン子爵に叙せられた[2][3]。
現在の当主はその息子である第2代ディルホーン子爵ジョン・マーヴィン・マニンガム=ブラー(1932-)である。
なおMI5長官を務め、ガーター勲章を受勲したマニンガム=ブラー女男爵イライザ・マニンガム=ブラー(1948-)は初代ディルホーン子爵の次女で現当主の妹である[4]。
一覧
ディルホーンのマニンガム=ブラー準男爵 (1866年)
- 初代準男爵サー・エドワード・マニンガム=ブラー (1800–1882)
- 2代準男爵サー・モートン・エドワード・マニンガム=ブラー (1825–1910)
- 3代準男爵サー・マーヴィン・エドワード・マニンガム=ブラー (1876–1956)
- 4代準男爵サー・レジナルド・エドワード・マニンガム=ブラー (1905–1980) (1962年にディルホーン男爵)
ディルホーン男爵 (1962年)
- 初代ディルホーン男爵レジナルド・エドワード・マニンガム=ブラー (1905–1980) (1964年にディルホーン子爵)
ディルホーン子爵 (1964年)
- 初代ディルホーン子爵レジナルド・エドワード・マニンガム=ブラー (1905–1980)
- 第2代ディルホーン子爵ジョン・マーヴィン・マニンガム=ブラー (1932-)
法定推定相続人は現当主の息子ジェイムズ・エドワード・マニンガム=ブラー(1956-)である。
出典
- Lundy, Darryl. “Sir Edward Manningham-Buller, 1st Bt.” (英語). thepeerage.com. 2015年8月10日閲覧。
- Lundy, Darryl. “Reginald Edward Manningham-Buller, 1st Viscount Dilhorne” (英語). thepeerage.com. 2015年8月10日閲覧。
- UK Parliament. “Mr Reginald Manningham-Buller” (英語). HANSARD 1803–2005. 2015年8月10日閲覧。
- Lundy, Darryl. “Elizabeth Lydia Manningham-Buller, Baroness Manningham-Buller” (英語). thepeerage.com. 2015年8月10日閲覧。
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