ダンテ・エクザム

ダンテ・エクザム (Dante Exum 1995年7月13日 - )は、オーストラリアビクトリア州メルボルン出身のプロバスケットボール選手。父のセシル・エクザムも元NBA選手だった。

ダンテ・エクザム
Dante Exum
ユタ・ジャズでのエクザム(2018年)
KKパルチザン  No.11
ポジション PG/SG
シュート 右手
基本情報
国籍 オーストラリアの旗 オーストラリア
生年月日 (1995-07-13) 1995年7月13日(27歳)
出身地 ビクトリア州の旗 ビクトリア州メルボルン
身長 196cm (6 ft 5 in)
体重 91kg (201 lb)
ウィングスパン 204cm  (6 ft 9 in)
キャリア情報
出身 オーストラリア国立スポーツ研究所
ドラフト 2014年 1巡目 5位  UTA 
選手経歴
2014-2020
2020-2021
2021
2021-2022
2022-
ユタ・ジャズ
クリーブランド・キャバリアーズ
ヒューストン・ロケッツ
スペインの旗 FCバルセロナ・バスケット
セルビアの旗 KKパルチザン
Stats  Basketball-Reference.com
Stats  NBA.com 選手情報 NBA.Rakuten
代表歴
キャップ オーストラリアの旗 オーストラリア U-17 2012
オーストラリアの旗 オーストラリア U-18 2013
オーストラリアの旗 オーストラリア 2014
獲得メダル
男子バスケットボール
オーストラリアの旗 オーストラリア
オリンピック
2020 東京

来歴

幼少の頃からバスケットボールオーストラリアンフットボールを楽しんできたエクザムは、元NBA選手の父を追うべく、キャンベラ大学入学時にバスケットボールに専念。その傍らでオーストラリア国立スポーツ研究所でスポーツ選手としての修行を積み、2013年のナイキ・フープサミットにも出場するまでに成長した[1]。これで自信を付けたエクザムは、NBAに挑戦することを決意[2]2014年のNBAドラフトにエントリーした。

ユタ・ジャズ

全体5位でユタ・ジャズから指名され[3]、ルーキーシーズンは全82試合にフル出場した。

2015年8月5日、オーストラリア代表の合宿中だったエクサムは、スロベニア代表との練習試合で、左膝を負傷。その後の検査の結果、前十字靭帯を断裂したことが判明[4][5]オーストラリア代表での活動は勿論ながら、NBA2015-16シーズンの全休を強いられ、2016-17シーズン開幕戦で復帰した。しかし、2017年10月6日のフェニックス・サンズとのプレシーズンマッチで左肩を負傷し、2017-18シーズンは再び全休になると報じられた[6]

クリーブランド・キャバリアーズ

2019年12月24日、ジョーダン・クラークソンとのトレードでクリーブランド・キャバリアーズへ移籍した。キャバリアーズでのデビュー戦となった2020年1月5日のミネソタ・ティンバーウルブズ戦でキャリアハイとなる28得点を記録した。

ヒューストン・ロケッツ

2021年1月、キャバリアーズとブルックリン・ネッツヒューストン・ロケッツインディアナ・ペイサーズの4チームが絡む大型トレードで、ロケッツに移籍することが発表された[7]。しかし、負傷で出場もままならず、2021-22シーズン開幕前に解雇された。

ユーロリーグでのキャリア(2021-)

2021年12月7日、FCバルセロナ・バスケットと3ヶ月の短期契約を結んだ[8]

2022年7月10日、ユーロリーグABAリーグに所属するKKパルチザンとの契約が発表された[9][10]

NBA成績

略称説明
  GP 出場試合数   GS  先発出場試合数  MPG  平均出場時間
 FG%  フィールドゴール成功率  3P%  スリーポイント成功率  FT%  フリースロー成功率
 RPG  平均リバウンド  APG  平均アシスト  SPG  平均スティール
 BPG  平均ブロック  PPG  平均得点  太字  キャリアハイ

レギュラーシーズン

シーズン チーム GP GS MPG FG% 3P% FT% RPG APG SPG BPG PPG
2014–15 UTA 824122.2.349.314.6251.62.4.5.24.8
2015–16 負傷により全休
2016–17 662618.6.427.295.7952.01.7.3.26.2
2017–18 14016.8.483.278.8061.93.1.6.28.1
2018–19 42115.8.419.290.7911.62.6.3.16.9
2019–20 1107.5.435.3331.0001.1.6.1.22.2
CLE 24116.8.479.351.7322.31.4.5.35.6
Career 2396918.5.407.308.7661.82.1.4.25.7

プレースタイル

オフェンス力は平凡だが、堅実なディフェンスを評価され、守備的チームのユタで出場時間を得ていた。

オーストラリア代表

2012年から各世代の代表に招集され、2014年FIBAバスケットボール・ワールドカップでフル代表デビューを果たした。しかし、2016年のリオデジャネイロオリンピックの出場は、前述の重傷からのリハビリ中との理由で辞退した。

家族

父のセシルはノースカロライナ州出身のアメリカ人で、母もアメリカ人である。セシルはノースカロライナ大学在学中にマイケル・ジョーダンジェームス・ウォージーらと共にプレーし、1982年のNCAAトーナメントで優勝を経験した。セシルはその後NBAではデンバー・ナゲッツなどでプレーし、1991年からオーストラリアでプレー。引退後もオーストラリアに定住している[11]

脚注

外部リンク

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