スポルティング・クルーベ・デ・ポルトゥガル

スポルティング・クルーベ・デ・ポルトゥガル(Sporting Clube de Portugal ComC MHIH OM ポルトガル語発音: [ˈspɔɾtĩɡ(ɨ) ˈkluβ(ɨ) ðɨ puɾtuˈɣaɫ] Euronext: SCP )は、ポルトガルリスボンに拠点を置くクラブ。単にスポルティング(Sporting)、スポルティングCP(Sporting CP、スポルティング セーペー)として知られる。

スポルティング・クルーベ・デ・ポルトゥガル
原語表記 Sporting Clube de Portugal
愛称 Leões (ライオン)
Verde-e-Brancos (緑と白)
クラブカラー 緑と白
創設年 1906年
所属リーグ プリメイラ・リーガ
所属ディビジョン 1部
ホームタウン リスボン
ホームスタジアム エスタディオ・ジョゼ・アルヴァラーデ
収容人数 50,095
代表者 ポルトガルの旗 フレデリコ・ヴァランダス
監督 ポルトガルの旗 ルベン・アモリム
公式サイト 公式サイト
ホームカラー
アウェイカラー
サードカラー
■テンプレート(■ノート)■サッカークラブPJ

ポルトガル国外ではスポルティング・リスボン(Sporting Lisbon)の名で広く知られているが、クラブ自身はこの名称を「単なる誤解」であり「正したい」と述べている[1]

首都リスボンに本拠地を置きプロサッカークラブを保有、陸上競技選手を育成する。この項では主にフットボールクラブについて記述。

概要

プリメイラ・リーガの試合前

ポルトガルサッカー界において1940年代から1950年代にかけて国内タイトルを数多く獲得し、FCポルトSLベンフィカとともにトレス・グランデスと呼ばれる。

ユースアカデミーからはパウロ・フットレルイス・フィーゴシモン・サブローザリカルド・クアレスマクリスティアーノ・ロナウドナニらを輩出してきた。

最大のライバルは同じリスボンを本拠地とするSLベンフィカ。この2チームの対戦はオ・デルビー・デ・リスボア(リスボン・ダービー)と言われ、クラシコと見なされている。またポルトガルの3強の一角を占めるFCポルトともライバル関係にあり、ポルトガルで3番目に人気のクラブである。

歴史

スポルティングの創設者達
エスタディオ・ジョゼ・アルバラーデ

スポルティング・クルーベ・デ・ポルトゥガルの正式な創設年月日は1906年7月1日だが、前身とも言うべき2つのクラブの存在があった。

1902年シントラの避暑地ベーラスで休暇中だった上流階級の人々によってスポート・クラブ・デ・ベーラス (Sport Club de Belas) が創設された。同クラブはわずか1試合を行ったのみで休暇状態に入ったが、リスボンに帰ったメンバー達は1904年にカンポ・グランデ地区でカンポ・グランデ・フットボール・クラブ (Campo Grande Football Club) を改めて創設した。しかし1906年にクラブで内部分裂が起き、その際の脱退者らが創設したクラブがスポルティングである。

ジョゼ・オルトレマン・ロケッテ(ジョゼ・アルバラーデ)は、祖父から資金と土地の援助を受けてスポルティングの創設を助け、初代会長を務めた。スポルティングの本拠地エスタディオ・ジョゼ・アルバラーデの名は彼に因む。

1938年にはポルトガルでも全国規模のリーグ戦が開始された。スポルティングは1940年代から1950年代にかけて最初の黄金期を迎え、この20年で10回の優勝を果たした。1940年代後半のフェルナンド・ペイロテオら5人によって構成された攻撃陣は「5人のヴァイオリン弾き (Cinco Violinos)」と譬えられた。

1963-64シーズンにはクラブにとって唯一のヨーロッパタイトルであるUEFAカップウィナーズカップを獲得した。決勝のMTKブダペストとの試合は延長戦でも勝負がつかず、翌々日の再試合に勝った末の優勝だった。2004-05シーズンのUEFAカップでは決勝に進出したがロシアのCSKAモスクワに敗れた。

2018年4月にはヨーロッパリーグ準々決勝・アトレティコ・マドリード戦での敗戦によりブルーノ・デ・カルバリョ会長がFacebook上で個々の選手を批判する内容の投稿をした。翌日、キャプテンのルイ・パトリシオやウィリアム・カルバリョなど19人の選手がインスタグラムに共同声明を投稿。「我々は、チームのために必死にプレーしているが、リーダーからの支援が欠けている」と、会長に対して反論する事態になり、これに激怒したデ・カルバリョ会長は、フェイスブック上で「我慢の限界だ。このメッセージに署名した選手は、即刻出場停止にする」と、主力選手への処分を発表。結局ジョルジェ・ジェズス監督が会長と話し合った結果、選手の出場停止処分は取り下げられた [2]

2018年5月、フーリガン約50人が練習場を襲撃し、選手やスタッフを襲撃する事件が発生した[3]。これによりバス・ドストらが負傷した。また、この事件の影響により、主力選手やユースから所属していたルイ・パトリシオウィリアム・カルヴァーリョジェルソン・マルティンスら主力選手やユースから所属していた選手が退団した。

2020年、有望な若手監督と目されていたルベン・アモリムを、SCブラガから高額の違約金を支払って獲得[4]。初年度からチームの期待に応え、19年ぶりに2020-21シーズンのプリメイラ・リーガ優勝を果たした[5]

タイトル

国内タイトル

国際タイトル

過去の成績

シーズン ディビジョン タッサ・デ・ポルトガル タッサ・ダ・リーガ 欧州カップ
リーグ順位
2000-01 プリメイラ・リーガ 3位 34 19 5 10 56 37 62 準決勝敗退 N/A UCL 2000-01 GS敗退
2001-02 プリメイラ・リーガ 1位 34 22 9 3 74 25 75 優勝 UC 2001 3回戦敗退
2002-03 プリメイラ・リーガ 3位 34 17 8 9 52 38 59 準々決勝敗退 UCL 2002-03 予選3回戦敗退
UC 2002-03 1回戦敗退
2003-04 プリメイラ・リーガ 3位 34 23 4 7 60 33 73 ベスト32 UC 2003-04 2回戦敗退
2004-05 プリメイラ・リーガ 3位 34 18 7 9 66 36 61 ベスト16 UC 2004-05 準優勝
2005-06 プリメイラ・リーガ 2位 34 22 6 6 50 24 72 準決勝敗退 UCL 2005-06 予選3回戦敗退
UC 2005-06 1回戦敗退
2006-07 プリメイラ・リーガ 2位 30 20 8 2 54 15 68 優勝 UCL 2006-07 GS敗退
2007-08 プリメイラ・リーガ 2位 30 16 7 7 46 28 55 優勝 準優勝 UCL 2007-08 GS敗退
UC 2007-08 準々決勝敗退
2008-09 プリメイラ・リーガ 2位 30 20 6 4 45 20 66 ベスト32 準優勝 UCL 2008-09 ベスト16
2009-10 プリメイラ・リーガ 4位 30 13 9 8 42 26 48 準々決勝敗退 準決勝敗退 UCL 2009-10 プレーオフ敗退
UEL 2009-10 ベスト16
2010-11 プリメイラ・リーガ 3位 30 13 9 8 41 31 48 ベスト16 準決勝敗退 UEL 2010-11 ベスト32
2011-12 プリメイラ・リーガ 4位 30 18 5 7 47 26 59 準優勝 3回戦敗退 UEL 2011-12 準決勝敗退
2012-13 プリメイラ・リーガ 7位 30 11 9 10 36 36 42 ベスト64 3回戦敗退 UEL 2012-13 GS敗退
2013-14 プリメイラ・リーガ 2位 30 20 7 3 54 20 67 ベスト32 3回戦敗退 - -
2014-15 プリメイラ・リーガ 3位 34 22 10 2 67 29 76 優勝 3回戦敗退 UCL 2014-15 GS敗退
UEL 2014-15 ベスト32
2015-16 プリメイラ・リーガ 2位 34 27 5 2 79 21 86 ベスト16 3回戦敗退 UCL 2015-16 プレーオフ敗退
UEL 2015-16 ベスト32
2016-17 プリメイラ・リーガ 3位 34 21 7 6 68 36 70 準々決勝敗退 3回戦敗退 UCL 2016-17 GS敗退
2017-18 プリメイラ・リーガ 3位 34 24 6 4 63 24 78 準決勝敗退 優勝 UCL 2017-18 GS敗退
UEL 2017-18 準々決勝敗退
2018-19 プリメイラ・リーガ 3位 34 23 5 6 72 33 74 優勝 優勝 UEL 2018-19 ベスト32
2019-20 プリメイラ・リーガ 4位 34 18 6 10 49 34 60 3回戦敗退 準決勝敗退 UEL 2019-20 ベスト32
2020-21 プリメイラ・リーガ 1位 34 26 7 1 65 20 85 ベスト16 優勝 UEL 2020-21 プレーオフ敗退
2021-22 プリメイラ・リーガ 2位 34 27 4 3 73 23 85 準決勝敗退 優勝 UCL 2021-22 ベスト16
2022-23 プリメイラ・リーガ 34 UCL 2022-23 GS敗退
UEL 2022-23 決勝プレーオフ

現所属メンバー

2020-21シーズン 基本フォーメーション
2023年1月31日現在[6]

注:選手の国籍表記はFIFAの定めた代表資格ルールに基づく。

No. Pos. 選手名
1 GK スペイン アントニオ・アダン
2 DF ブラジル マテウス・レイス
3 DF オランダ ジェレマイア・シン・ジュステ ()
4 DF ウルグアイ セバスティアン・コアテス キャプテン()
5 MF 日本 守田英正
6 MF ギリシャ ソティリス・アレクサンドロプロス
10 FW イングランド マーカス・エドワーズ ()
11 FW ポルトガル ヌーノ・サントス
12 GK ウルグアイ フランコ・イスラエル ()
13 DF ポルトガル ルイス・ネト (副主将)
15 MF ウルグアイ マヌエル・ウガルテ
16 FW ポルトガル ロシーニャ
17 FW ポルトガル フランシスコ・トリンコン
18 FW ガーナ アブドゥル・ファタウ
19 DF スペイン エクトル・ベジェリン
No. Pos. 選手名
20 FW ポルトガル パウリーニョ
22 GK ポルトガル アンドレ・パウロ
23 MF ポルトガル ダニエウ・ブラガンサ
25 DF ポルトガル ゴンサロ・イナシオ
26 DF コートジボワール ウスマン・ディオマンド
28 MF ポルトガル ペドロ・ゴンサウヴェス
32 MF アルゼンチン マテオ・タンロンゴ ()
33 FW ブラジル アルトゥール・ゴメス
41 GK ブラジル ジエゴ・カライ ()
47 DF ポルトガル リカルド・エスガイオ
71 DF ポルトガル フラヴィオ・ナジーニョ ()
77 FW カーボベルデ ジョヴァネ・カブラル ()
79 FW ポルトガル ユセフ・シェルミティ ()
82 MF ポルトガル マテウス・フェルナンデス
84 MF ポルトガル ダリオ・エスーゴ ()
91 FW ポルトガル ロドリゴ・リベイロ

括弧内の国旗はその他の保有国籍を、星印はEU圏外選手を示す。

監督

ローン移籍

in

注:選手の国籍表記はFIFAの定めた代表資格ルールに基づく。

No. Pos. 選手名
17 FW ポルトガル フランシスコ・トリンコン (FCバルセロナ)
No. Pos. 選手名
out

注:選手の国籍表記はFIFAの定めた代表資格ルールに基づく。

No. Pos. 選手名
-- DF ポルトガル エドゥアルド・クアレスマ (1899ホッフェンハイム)
-- DF ポルトガル チアゴ・イロリ (FCパソス・デ・フェレイラ)
-- DF ポルトガル ゴンサロ・エステヴェス (GDエストリル・プライア)
-- DF ポルトガル ルベン・バイナグル (エヴァートンFC)
-- DF スペイン ホセ・マルサ (スポルティング・デ・ヒホン)
No. Pos. 選手名
-- MF コートジボワール イドリッサ・ドゥンビア (アランヤスポル)
-- FW ポルトガル ラファエウ・カマーチョ (アリス・テッサロニキ)
-- FW ブラジル ルイス・フェリッピ (FC東京)
-- FW ポルトガル ジョエウソン・フェルナンジス (FCバーゼル)
-- FW ポルトガル ティアゴ・トマス (VfBシュトゥットガルト)

歴代監督

歴代所属選手

GK

DF


MF

FW

その他のスポーツ部門

上流階級によって作られたクラブだけあって、創設初期にはテニス乗馬の他に、社交パーティやピクニックなども行われていた。

現在はハンドボール陸上競技フットサルスポルティングCP)、体操競技水泳卓球ビリヤードフルコンタクト空手重量挙げローラーホッケー柔術空手アマチュアレスリングスポーツフィッシング水球ボクシングテコンドー柔道クラヴ・マガカポエイラ射撃アーチェリーチェスサイクルロードレースの部門を持つ。

著名な選手に、陸上では1984年ロサンゼルス五輪男子マラソンで金メダルを獲得したカルロス・ロペスを筆頭にフェルナンド・マメーデフランシス・オビクウェルルイ・シルバナイデ・ゴメス、自転車ではジョアキン・アゴスティーニョがいる。

脚注

参考文献

外部リンク

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