スチュアート (駆逐艦)
スチュアート(HMS Stuart, D00)はイギリス海軍の駆逐艦。スコット級嚮導駆逐艦。後にオーストラリア海軍の駆逐艦スチュアート (HMAS Stuart) となり、第二次世界大戦で「屑鉄戦隊」と呼ばれたオーストラリア海軍の駆逐艦部隊を率いた。艦名はスコットランドのスチュアート朝にちなむ。
HMS/HMAS スチュアート | |
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HMASスチュアート (1938年1月2日) | |
基本情報 | |
建造所 | ホーソン・レスリー |
運用者 |
イギリス海軍 オーストラリア海軍 |
級名 | スコット級駆逐艦 |
モットー |
By Honour Flourish (繁栄する名誉に依りて) |
艦歴 | |
起工 | 1917年10月18日 |
進水 | 1918年8月22日 |
就役 |
1918年12月21日(イギリス海軍) 1933年10月11日(オーストラリア海軍) |
退役 |
1933年5月(イギリス海軍) 1946年4月27日(オーストラリア海軍) |
除籍後 | 1947年2月3日にスクラップとして売却 |
要目 | |
基準排水量 | 1,530 トン |
満載排水量 | 2,053 トン |
全長 | 332 ft 7.5 in (101.39 m) |
垂線間長 | 320 ft (98 m) |
最大幅 | 31.94 ft (9.69 m) |
吃水 | 11.4 ft (3.45 m) |
主缶 | ヤーロー缶 × 3基 |
主機 | ブラウン・カーチス式蒸気タービン × 2基 |
出力 | 43,000 shp (32,000 kW) |
推進器 | 2軸推進 |
最大速力 | 34ノット (63 km/h; 39 mph) |
航続距離 |
3,000海里 (5,600 km) 10ノット(19km/h; 12 mph)時 |
乗員 |
士官、兵員183名(1918年) 士官11名、兵員156名(1936年) |
兵装 |
1933年時:45口径10.2cm単装砲×5基 76mm単装高角砲×1基 ヴィッカース39口径40mm単装機銃×2基 7.7mm機銃×5基 53.3cm3連装魚雷発射管×2基 爆雷投射機×2基 爆雷投下台×4基 1941年改装:45口径10.2cm単装砲×2基撤去 エリコン20mm単装機銃×5基追加 鹵獲ブレダ20mm機銃追加 爆雷投下台撤去 爆雷投下軌条追加 1942年改装:45口径10.2cm単装砲×1基撤去 エリコン20mm単装機銃×2基撤去 鹵獲ブレダ20mm機銃全撤去 7.7mm機銃全撤去 53.3cm3連装魚雷発射管全撤去 ヘッジホッグ対潜迫撃砲×1基追加 1944年輸送艦改装後:45口径10.2cm単装砲×1基 エリコン20mm単装機銃×7基 ヴィッカース39口径40mm4連装機銃×3基 ヘッジホッグ対潜迫撃砲×1基 爆雷 |
艦歴
スチュアートは1917年10月18日にニューカッスル・アポン・タインのホーソン・レスリーで起工、1918年8月22日に進水し1918年12月21日に竣工、同日イギリス海軍に就役した。スチュアートは第一次世界大戦終結前に進水した4隻のスコット級駆逐艦のうちの1隻であった[1]。
イギリス海軍
1918年12月の就役後、スチュアートはイギリス海軍での艦歴の大部分を地中海で過ごし、主に第2駆逐艦戦隊に所属してマルタ島を含む各地で活動した[2][3]。戦後すぐには、スチュアートはオスマン帝国崩壊やロシア内戦などで活動している。
1919年から1920年にかけて、スチュアートは連合国によるロシア内戦介入に伴うイギリス海軍の作戦行動のため黒海で活動する。スチュアートは、クリミア半島の戦いが始まったことを受けて1919年4月にヤルタへ急派され[4]、さらに翌1920年3月には赤軍がノヴォロシースクへ進撃したため、ノヴォロシースク撤退におけるイギリス軍の活動に加わった[5]。
スチュアートはまたエーゲ海戦隊を強化するため派遣され、希土戦争でトルコに対するギリシャ軍の支援を行う。そのためスチュアートは、1920年5月のイズミル上陸[6]と7月のバンドゥルマ上陸[7]で兵員輸送船団の護衛に従事している。1921年初め、スチュアートはイスタンブール占領に従事する連合軍の一員としてイスタンブールで活動した[8]。
イギリス海軍は1923年以降、スチュアートを地中海で恒常的に運用するようになり、続く10年間の後半を地中海艦隊での演習やその他いろいろな任務で過ごした。1928年から1931年にかけて、後に第二海軍卿となるウィリアム・ホイットワースがスチュアートの艦長兼第2駆逐艦戦隊司令を務めている[9]。
1933年5月にスチュアートはイギリス海軍から退役した。スチュアートとアドミラルティV/W級駆逐艦4隻(ヴォイジャー、ヴァンパイア、ヴェンデッタ、ウォーターヘン)は、それまでオーストラリア海軍で使用されていた駆逐艦を置き換えるためオーストラリアへ引き渡されることになった。アドミラルティV/W級駆逐艦4隻はS級駆逐艦を、スチュアートはそれらの駆逐艦を指揮する嚮導艦としてアンザック級駆逐艦アンザックを代替した[3][1]。スチュアートは1933年10月11日にポーツマスでオーストラリア海軍に就役した[1][3]。スチュアート以下5隻の駆逐艦は1933年10月17日、スチュアートの艦長A・C・リリー大佐に率いられてチャタムを出港する。一行はスエズ運河を通過して、シンガポールとダーウィンを経由しながら12月21日にオーストラリアのシドニーへ到着した[3][1]。
オーストラリア海軍
オーストラリア海軍でスチュアートは当初、オーストラリアの近海で活動した。その後1938年6月1日には退役し、予備役に編入された。1938年9月29日から11月30日にかけて、スチュアートはズデーテン危機を受けて短期間現役復帰するが再び予備役に置かれた[3][1]。
しかし第二次世界大戦勃発を受けて、スチュアートは1939年9月1日にヘクター・ウォーラー中佐(後にバタビヤ沖海戦において軽巡洋艦パース艦長として戦死)の指揮の下で再就役する[1]。スチュアートの最初の戦時任務は、ヴェンデッタとウォーターヘンと共同でシドニーを拠点とした対潜哨戒であった[3]。
10月14日にスチュアートはオーストラリア駆逐艦戦隊旗艦としてヴェンデッタとウォーターヘンを連れてシドニーを出港、フリーマントルから来たヴァンパイアとヴォイジャーとシンガポールで合流した。1939年11月13日にシンガポールを出て地中海へ向かった一行は1940年1月2日にマルタ島へ到着した。到着の翌日、戦隊は地中海艦隊の任務に就き第19駆逐隊(19th Destroyer Division)に改編されたが、この部隊は後にドイツのプロパガンダから「屑鉄戦隊」(Scrap Iron Flotilla)として知られるようになる[1]。5月27日、第19駆逐隊はD級駆逐艦からなるイギリス海軍第20駆逐隊(20th Destroyer Division)と合同し第10駆逐艦戦隊を編成した[3][10]。
1940年7月、スチュアートは第10駆逐艦戦隊を率いてカラブリア沖海戦に参加、さらにスチュアートら駆逐艦は、8月17日にバルディア近郊とカプッツォ砦を砲撃する戦艦ウォースパイト、マレーヤ、ラミリーズ、重巡洋艦ケントを護衛した[3]。
9月29日から30日にかけての夜には、スチュアートはイギリス空軍のサンダーランド飛行艇およびイギリス海軍の駆逐艦ダイアモンド、対潜トローラーシンドニスと共同でイタリア海軍の潜水艦ゴンダルを攻撃し浮上させ降伏に追い込んだ。ゴンダルはその後乗員の手で自沈した[3]。
スチュアートとヴァンパイア、ヴォイジャー、砲艦ナット、モニターテラーは、1941年1月22日のオーストラリア第6師団によるトブルク占領を支援した[3]。3月にはマタパン岬沖海戦に参加、この際にスチュアートはイタリア海軍の重巡洋艦ザラに魚雷1本を命中させた[11]。
続いてスチュアートは、3月から4月にかけてエジプトからギリシャへ兵力輸送を行う(ラスター作戦)。4月初めに、スチュアートら「屑鉄戦隊」は北アフリカ沿岸の敵拠点を砲撃するとともにトブルクの友軍へ補給の支援を行ったほか、4月19日にはバルディアを攻撃するコマンド部隊を乗せた揚陸艦グレンガイルを護衛している。また、スチュアートは4月にギリシャの戦いの敗北を受けてギリシャからクレタ島への連合軍の撤退、さらに5月にクレタ島の戦いでのクレタ島からの撤退作戦に加わっている[3]。
6月10日から13日にかけて、スチュアートはシリア・レバノン戦役で支援砲撃を担当。同月に包囲下にあるトブルクへの輸送任務(トブルク・フェリーサービス)に参加し、6月と7月の活動期間中で合計24回の輸送を成功させた[3]。
大規模、小規模問わず様々な艦隊行動や護衛任務に従事したスチュアートだったが、元々老朽化した駆逐艦であるスチュアートの状態は1941年半ばにはかなり悪化しており、大規模修繕が必要となっていた。また、一連の活動においてスチュアートは50回以上の空襲を切り抜けており、それらの衝撃によるリベットの緩みも懸念された。7月25日から26日にかけて行われた最後のトブルクへの輸送任務ではアレキサンドリアへ帰るのがやっとの有様であり、スチュアートは左舷の機関が故障した状態のまま大規模修理を行うため8月22日にオーストラリアへ向かった[3]。フリーマントルを経由して9月27日にメルボルンへ到着したスチュアートは1942年4月までドックで修理に費やした[12]。
既に太平洋の戦いが始まっていた1942年4月の修理完了後、S・H・K・スパージョン中佐の指揮下で復帰したスチュアートは、主にオーストラリア近海で船団護衛任務や対潜哨戒任務を行った[3]。1943年の終わりにはスチュアートは第一線から引き揚げられ、1944年初めにかけて物資や兵員を輸送する高速輸送艦に改装された[12]。改装後は戦後の1946年1月までオーストラリアとニューギニア周辺海域で活動した[12][13]。
スチュアートは第二次世界大戦中に約250,000海里を航行し、17,000時間以上を洋上で過ごした。その活動の中でスチュアートの乗員に一人も戦死者が出ることはなかった[3]。
退役
スチュアートは1946年4月27日に退役し、1947年2月3日にT・カー・アンド・カンパニーへスクラップとして売却後、同年2月21日に解体地へ曳航された[12]。解体後、スチュアートの竜骨はニューサウスウェールズ州パットニーのキッシング・ポイント湾に沈められた[14]。
栄典
スチュアートは第二次世界大戦の戦功で8個の戦闘名誉章(Battle Honour)を受章した。
- Mediterranean 1940, Calabria 1940, Libya 1940–41, Matapan 1941, Greece 1941, Crete 1941, Pacific 1942–43, New Guinea 1942–44[15]
脚注
- Cassells, The Destroyers, p. 107
- Halpern, The Mediterranean Fleet, 1919–1929, p. 302
- “HMAS Stuart (I)”. Royal Australian Navy. 2019年11月18日閲覧。
- Halpern, The Mediterranean Fleet, 1919–1929, p. 32
- Halpern, The Mediterranean Fleet, 1919–1929, p. 187
- Halpern, The Mediterranean Fleet, 1919–1929, p. 66
- Halpern, The Mediterranean Fleet, 1919–1929, p. 247
- Halpern, The Mediterranean Fleet, 1919–1929, p. 306
- “Whitworth, Sir William Jock (1884–1973), Admiral”. Liddell Hart Centre for Military Archives. King's College, London. 2019年11月18日閲覧。
- Cassells, The Destroyers, p. 108
- Bennett, Naval Battles of World War II, p. 129
- Cassells, The Destroyers, p. 109
- Gillett & Graham, Warships of Australia, p. 157
- “Australian Naval History on 3 April 1947”. On This Day. Naval Historical Society of Australia (2016年2月26日). 2015年6月30日閲覧。
- “Royal Australian Navy Ship/Unit Battle Honours”. Royal Australian Navy (2010年3月1日). 2011年6月14日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年11月18日閲覧。
参考文献
- Bennett, Geoffrey (2003). Naval Battles of World War II. Barnsley: Pen & Sword. ISBN 0850529891
- Bertke, Donald A.; Smith, Gordon; Kindell, Don (2012). The Royal Navy is Bloodied in the Mediterranean. World War II Sea War, Volume 3. Lulu. ISBN 9781937470012
- Cassells, Vic (2000). The Destroyers: Their Battles and Their Badges. East Roseville, New South Wales: Simon & Schuster. ISBN 0-7318-0893-2. OCLC 46829686
- Gillett, Ross; Graham, Colin (1977). Warships of Australia. Adelaide, South Australia: Rigby. ISBN 0-7270-0472-7
- Halpern, Paul, ed (2011). The Mediterranean Fleet 1920–1929. Navy Records Society Publications. 158. Farnham, Surrey, UK: Ashgate. ISBN 978-1-4094-2756-8