ジョージ・カレブ・ビンガム

ジョージ・カレブ・ビンガム(George Caleb Bingham、1811年3月20日 - 1879年7月7日)はアメリカ合衆国の画家である。

ジョージ・カレブ・ビンガム
George Caleb Bingham
自画像 (1835年頃)
生誕1811年3月20日
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国オーガスタ郡 (バージニア州)
死没1879年7月7日
アメリカ合衆国カンザスシティ (ミズーリ州)

略歴

バージニア州オーガスタ郡の農家に生まれた[1]。その後ミズーリ州に家族と移った[2]。独学で絵を学び、9歳の時にミズーリを訪れた、肖像画家のチェスター・ハーディング(Chester Harding)によって才能を認められた。1823年に父親が没した後、母親の作った女子学校を手伝った後、家具職人の見習いとなった。

19歳になった1830年頃には1点$ 20で肖像画を描いて、収入を得るようになり、1838年からセントルイスで働き、肖像画家として成功し、有力者と知り合いになった。本格的な美術教育をうけるために、数ヶ月フィラデルフィアニューヨークナショナル・アカデミー・オブ・デザインで学んだ。

1848年に民主党員としてミズーリ州の州議会に当選し、政治家として働いた。政治活動を描いた作品もある[3]

1856年からヨーロッパに渡り、パリに数ヶ月滞在し、ルーブル美術館で念願であった巨匠の作品を学んだ。その後ドイツに滞在し、デュッセルドルフ美術アカデミーで1859年まで授業に参加した。同じ時期にアメリカで有名な歴史画家となるエマヌエル・ロイツェ(1816-1868) がデュッセルドルフで活動していて、2人は友人となった。

アメリカに戻った後、肖像画家として働き、南北戦争中はミズーリ州の財務長官などを務めた。ミズーリ大学コロンビア校で美術を教えた。

没後、画家としては忘れられた存在となっていたが、1930年代になって、19世紀後半のアメリカ美術における「ルミニズム」の画家の一人として再評価された。「ミズーリ河を下る毛皮商人」(1845)が代表作とされる。

作品

参考文献

  1. Who Was Who in America, Historical Volume, 1607–1896 (Marquis Who's Who, 1967).
  2. Nagel, Paul C., "The Man and His Times," in George Caleb Bingham, ed. Michael Edward Shapiro (Harry N. Abrams, Inc., 1990).
  3. Rash, Nancy, The Painting And Politics of George Caleb Bingham (Yale University Press, 1991).
This article is issued from Wikipedia. The text is licensed under Creative Commons - Attribution - Sharealike. Additional terms may apply for the media files.