シエン・カラス
シエン・カラス(Cien Caras、本名:Carmelo Reyes González、1949年10月18日 - )は、メキシコの元プロレスラー。ハリスコ州ラゴス・デ・モレノ出身。
シエン・カラス | |
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プロフィール | |
リングネーム |
シエン・カラス ミル・カラス サンソン |
本名 | カルメロ・レジェス・ゴンサレス |
ニックネーム | 百の顔を持つ男 |
身長 | 182cm - 188cm |
体重 | 102kg - 104kg |
誕生日 | 1949年10月18日(73歳) |
出身地 |
メキシコ ハリスコ州ラゴス・デ・モレノ |
トレーナー |
ディアブロ・ベラスコ パンテーラ・ネグラ |
デビュー | 1974年 |
弟のマスカラ・アニョ・ドスミル、ウニベルソ・ドスミルもプロレスラー。シエン・カラス・ジュニア、エル・イホ・デル・シエン・カラスとは血縁関係はない。
来歴
ディアブロ・ベラスコ、パンテーラ・ネグラのコーチのもと、1974年にアメリカ合衆国のカリフォルニア州ロサンゼルスにて、サンソン(Sansón)のリングネームでデビュー。その後ミル・マスカラスを模したミル・カラス(Mil Caras)なるマスクマンを経て、「百の顔」を意味するシエン・カラス(Cien Caras)に改名。
1976年10月には新日本プロレスに来日、イワン・コロフ、パット・パターソン、ラリー・ヘニングらと共に『闘魂シリーズ第2弾』に参戦した。アメリカでの活動も続け、1977年1月21日にビクター・リベラとのコンビでロディ・パイパー&ザ・ハングマンを破り、ロサンゼルス地区のNWAアメリカス・タッグ王座を獲得[1]。フリッツ・フォン・エリックの主宰するテキサス州ダラス地区にも遠征し、同年にホセ・ロザリオと組んでレス・ソントン&トニー・チャールズの英国人コンビからNWAテキサス・タッグ王座を奪取している[2]。本国メキシコでもNWA系のEMLLを主戦場に、1980年7月26日にプエブラでトニー・ベネットを下してナショナル・ヘビー級王座を獲得した。
長らくリンピオであったが、1984年よりルードに転向。1987年6月24日、メヒコ州ネサワルコヨトルでMS1を破りNWA世界ライトヘビー級王座を獲得。1990年9月21日、アレナ・メヒコでのコントラ・マッチでラヨ・デ・ハリスコ・ジュニアに破れ素顔になる。
1990年代に入るとCMLLにてコナン・エル・バルバロと抗争を展開し、1991年8月18日にモンテレイでコナンからCMLL世界ヘビー級王座を奪取。同年8月1日には、弟のマスカラ・アニョ・ドスミル、ウニベルソ・ドスミルと組んでオクタゴン、アトランティス、マスカラ・サグラダ組を破りナショナル・トリオ王座を獲得した。
1992年5月にアントニオ・ペーニャのAAAの旗揚げに参加。ここでもコナン・エル・バルバロと抗争を繰り広げる。1996年3月8日、ネサワルコヨトルにてヘビー・メタルとラテン・ラバーをパートナーにAAAアメリカス・トリオス王座決定トーナメントに出場、ロス・ビジャノス(ビジャノ3号、ビジャノ4号、ビジャノ5号)と決勝を争うも敗退した。
1997年に再びCMLLに復帰し、マスカラ・アニョ・ドスミル&ウニベルソ・ドスミルとの兄弟トリオ "Los Hermanos Dinamita(The Dynamite Brothers)" で活動。2005年2月、マスカラ・アニョ・ドスミルと組んでペロ・アグアヨ&ペロ・アグアヨ・ジュニアとカベジェラ・コントラ・カベジェラで対戦するも敗退、これが引退試合とされていたものの、その後もCMLLやインディ団体への出場を続けた。
得意技
獲得タイトル
- NWAアメリカス・タッグ王座:1回(w / ビクター・リベラ)[1]
- NWAテキサス・タッグ王座:1回(w / ホセ・ロザリオ)[2]
- NWA世界ライトヘビー級王座:1回
- ナショナル・ヘビー級王座:2回
- ナショナル・タッグ王座:2回(w / サングレ・チカナ、マスカラ・アニョ・ドスミル)
- ナショナル・トリオ王座:1回(w / ウニベルソ・ドスミル&マスカラ・アニョ・ドスミル)
- CMLL世界ヘビー級王座:1回
- IWC世界ヘビー級王座:1回
- WWAヘビー級王座:1回
脚注
- “NWA Americas Tag Team Title History”. Wrestling-Titles.com. 2011年1月27日閲覧。
- “NWA Texas Tag Team Title History”. Wrestling-Titles.com. 2011年1月27日閲覧。