ザクセン=ザールフェルト

ザクセン=ザールフェルトドイツ語: Sachsen-Saalfeld)は1680年から1735年まで存在した、ヴェッティン家エルネスティン系が統治した公国。領土は現ドイツテューリンゲン州の一部にあたる。

ザクセン=ザールフェルト公国
Herzogtum Sachsen-Saalfeld
神聖ローマ帝国の領邦

1680年–1735年
ザクセン=ザールフェルト公国の位置
ザクセン=ザールフェルトの領土
首都 ザールフェルト
政府 公国
歴史・時代 前近代ヨーロッパ
  ザクセン=ゴータから分割 1680年
  ザクセン=コーブルクと同君連合 1699年8月6日
  カール6世の決定によりザクセン=コーブルク=ザールフェルトに改名 1735年

歴史

1677年以降に築かれたザールフェルト城

1675年、ザクセン=ゴータ公エルンスト1世ゴータで死去した。ザクセン=ゴータは1680年2月24日に彼の7人息子の間で分割され、そのうち末子のヨハン・エルンスト4世はザクセン=ザールフェルトを獲得した。公国の領土はザールフェルトグレフェンタールプロプスツェラであった。しかし公国の統治はヨハン・エルンスト4世の長兄でゴータにいるザクセン=ゴータ=アルテンブルクフリードリヒ1世によって行われ、ヨハン・エルンスト4世には実権がなかった。ヨハン・エルンスト4世自身はザールフェルトに住んだ。

1699年、ザクセン=コーブルクアルブレヒト5世が後継者のないまま死去すると、ヨハン・エルンスト4世とザクセン=マイニンゲンベルンハルト1世の間で継承争いが起き、1735年にようやく決着した。ザクセン=コーブルクの大半はザクセン=ザールフェルトに併入されたが、ゾンネベルクノイハウス・アム・レンヴェークはザクセン=マイニンゲンに、ゾンネフェルトザクセン=ヒルトブルクハウゼンに割譲された。ザクセン=レムヒルトの旧領であるレムヒルト区の3分の1とテマルの12分の5はザクセン=コーブルク領のまま残された。

1735年に継承争いが神聖ローマ皇帝カール6世により最終決定がなされると、公国は正式にザクセン=コーブルク=ザールフェルトへと改名された。

ザクセン=ザールフェルト公の一覧

  • ヨハン・エルンスト4世(1658年 - 1729年)
  • クリスティアン・エルンスト2世(1683年 - 1745年)

参考文献

  • (ドイツ語) Johann Hübner, Drey hundert drey und dreyßig Genealogische Tabellen: nebst denen darzu gehörigen genealogischen Fragen zur Erläuterung der politischen Historie, mit sonderbahrem Fleiße zusammen getragen, und vom Anfange der Welt biß auff diesen Tag continuiret; Nebst darzu dienlichen Registern [Three Hundred and Thirty Three Genealogical Tables: Together with those Related Questions of Genealogy to Explain the Political History, Compiled with Great Diligence, and Continuing from the Beginning of the World to This Day; Added Herein with Relevant Records] (Leipzig: Johann Friedrich Gleditsch, 1708) Table No. 166
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