ゴドフロワ・シャルル・アンリ・ド・ラ・トゥール・ドーヴェルニュ

ゴドフロワ・シャルル・アンリ・ド・ラ・トゥール・ドーヴェルニュGodefroy-Charles-Henri de La Tour d'Auvergne, 1728年1月26日 パリ - 1792年12月3日 ナヴァール城エヴルー)は、ブルボン朝末期フランスの貴族・廷臣。ブイヨン公爵。1747年から1775年までの長きにわたり、フランス王室侍従長の職にあった。

ブイヨン公ゴドフロワ、ジャン=フランソワ・コルソン画、1775年

ブイヨン公シャルル・ゴドフロワマリー・シャルロット・ソビェスカの間の長男。1743年11月27日、マルサン伯シャルル=ルイの娘ルイーズ=アンリエット=ガブリエル・ド・ロレーヌと結婚。最初の妻と死別後、マリー・フランソワーズ・アンリエット・ド・バナストル(1775年 - 1816年)と再婚している。

七年戦争に従軍して戦功を立て、1748年陸軍少将に昇進。1775年ルイ16世ランスでの戴冠式には王室侍従長として参加した[1]。素行は芳しくなく、オペラ歌手の愛人に入れ込んで3か月で100万リーヴル近くを濫費し、家産を傾けた。1775年侍従長を辞職した際、後任には息子ではなく甥のゲメネ公アンリが選ばれたが、これはゲメネ公が王妃マリー・アントワネットのお気に入りだったためである[2]。1777年、王立彫刻・絵画アカデミー総裁に任命された。

最初の妻との間に4子があった。

  • ジャック・レオポール・シャルル・ゴドフロワ(1746年 - 1802年) - ブイヨン公
  • シャルル・ルイ・ゴドフロワ(1749年 - 1767年) - オーヴェルニュ公
  • ルイ・アンリ(1753年) - アルブレ公
  • 女児(1756年、死産)

引用・脚注

  1. ジャン=クリスチャン・プティフィス著、小倉孝誠監修『ルイ十六世(上)』中央公論新社、2008年、P245.
  2. アントニア・フレイザー著、野中邦子訳『マリー・アントワネット(上)』早川書房、2006年、P402。
This article is issued from Wikipedia. The text is licensed under Creative Commons - Attribution - Sharealike. Additional terms may apply for the media files.