コンデ=シュル=レスコー

コンデ=シュル=レスコーCondé-sur-l'Escaut)は、フランスオー=ド=フランス地域圏ノール県コミューン

Condé-sur-l'Escaut


行政
フランスの旗 フランス
地域圏 (Région) オー=ド=フランス地域圏
(département) ノール県
(arrondissement) ヴァランシエンヌ郡
小郡 (canton) マルリー小郡
INSEEコード 59153
郵便番号 59163
市長任期 グレゴリー・ルロン
2014年 - 2020年
自治体間連合 (fr) fr:Communauté d'agglomération Valenciennes Métropole
人口動態
人口 9 680人
2016年
人口密度 526人/km2
住民の呼称 Condéens[1].
地理
座標 北緯50度27分00秒 東経3度35分29秒
標高 平均:m
最低:10 m
最高:52 m
面積 18.4km2
Condé-sur-l'Escautの位置(フランス内)
Condé-sur-l'Escaut
Condé-sur-l'Escaut
公式サイト conde59.fr

地理

ヴァランシエンヌの北東12kmに位置する。リールとは51km、ベルギーの首都ブリュッセルとは90km、パリとは239km離れている。コミューン面積の北側はベルギー国境と接している。エーヌ川とエスコー川(スヘルデ川のフランス語名)の合流地点にある。

由来

Condéとは『合流地点』を意味するケルト語Condat(e)からきている。地名はガロ=ローマ時代にCondatumとラテン語化され、その後14世紀にCondeとなった。

フランス革命時代、当局の要請および革命暦2年ヴァンデミエール25日(1793年10月16日)のデクレにより、フランスの多くのコミューンと同様に封建的または宗教的な意味合いを持つ地名Condéはノール=リーブル(Nord-Libre)とされ、1818年10月8日のデクレまでその名であった。

現在のコンデ=シュル=レスコーとなったのは1886年である。

フラマン語ではKonde a/d Scheldeとなる[2]

歴史

ケルト時代のコンデ=シュル=レスコーはガリア・ベルギカに属し、この地に定住したのはネルウィイ族、その後軍の駐屯地を設置したローマ人であった。

民族移動時代フランク族が定住し、7世紀、この地域に聖ヴァズノンがキリスト教を伝えた。聖ヴァズノンは教区教会の守護聖人となっている。教会参事会はすぐそばにあり、コンデ修道院の後援のもとにあった。封建的な権力を持つ人物を提供するこの教会参事会の起源は、考古学的発掘によって証明されるように、メロヴィング朝時代にさかのぼる[3]。2世紀後、ヴァイキングは855年に初めて姿を現し、880年代に一時的に定住した。シグフレードとゴドフレートの2人の首領たちの指揮下でエスコー川を上り、彼らは要塞を占領して、要塞の萌芽ともいえる、塹壕をめぐらした駐屯地をつくった。885年に彼らは追い払われたが、889年に決定的に追放されるまで彼らは姿を現した。

この町を手に入れようと勢力が争い、1477年フランス王ルイ11世軍、そしてジャック・ファン・アルトフェルト率いるフランドル軍に交互に占領された[4]

コンデ領主ジャン・ド・ラ・アマイドは1415年のアジャンクールの戦いで戦死している[5]

1654年、スペイン人たちが近代化の時代を始め、これは1655年にフランス軍に占領されて中断したが、翌年にスペイン支配が復活した。スペイン人たちは道を舗装し、高度な防御能力を構築した。4か所の強力な稜堡によって彼らは北西の前線を防御した。1676年、ルイ14世軍が町を包囲し、1678年のナイメーヘンの和約によってフランスに併合された。

ザクセン=コーブルク=ザールフェルト公フランツ率いるオーストリア軍が、92日間の封鎖の後、町を占領した(1793年7月10日)[6][7]。町がオーストリア軍から解放されたのは、1794年9月3日、シェレール将軍(fr)によってである。ナポレオンの帝政が崩壊した1815年、町は同盟国の手に落ちた。3年後の1818年まで、同盟国軍は去らなかった。

1878年、テシェン公フリードリヒはエルミタージュ城館においてイザベラ・フォン・クロイと結婚した。

1901年、コンデ=シュル=レスコーは、軍事拠点としての称号を失った。国が1923年に要塞の解体を許可した。

第一次世界大戦前夜の1914年7月、反戦集会がフランス、ベルギー、ドイツの社会主義政党の代表者たちを集めて開催された。ドイツ代表の1人はカール・リープクネヒトであった[8] · [9]

第二次世界大戦中、町は1940年から1944年までドイツに占領され、炭鉱とその労働者たちを搾取した。最終的に閉鎖される1989年までルドゥー炭鉱で石炭が採掘され、男性の主たる雇用源となっていた。この場所は1991年に破棄された[10]

人口統計

2016年時点のコミューンの人口は9680人で、2011年当時の人口より0.91%減少した[11]

1962年 1968年 1975年 1982年 1990年 1999年 2010年 2016年
14066 13607 13994 13671 11289 10527 9731 9680

参照元:1962年から1999年までは複数コミューンに住所登録をする者の重複分を除いたもの。それ以降は当該コミューンの人口統計によるもの。1999年までEHESS/Cassini[12]、2006年以降INSEE[13][14]

史跡

姉妹都市

脚注

  1. Nom des habitants de la commune sur habitants.fr.
  2. http://www.roepstem.net/vlaanderen.html#inhoud
  3. V. Maliet et M. Gabriel, La collégiale Notre-Dame de Condé-sur-Escaut (Nord) : données archéologiques, Valentiana no 8, 1997, p. 7-20.
  4. Statistique archéologique du Département du Nord, 1867, archive de Harvard College Library numérisée par google Books, p. 414.
  5. "Azincourt 1415 : d'où venaient les chevaliers français morts à la bataille ?". Cite webテンプレートでは|access-date=引数が必須です。 (説明)
  6. Marie Fourrier, La Révolution française dans le "Pays Vallée de la Sarthe", 1789-1800, Centre de ressources du patrimoine du Pays Vallée de la Sarthe, 2010, p. 30
  7. Hugues Marquis, « Le général François Jarry au service de l'Angleterre (1793-1806) », Annales historiques de la Révolution française février 2009, (no 356), p. 93-118
  8. Martine Pottrain, Le Nord au cœur : historique de la Fédération du Nord du Parti socialiste, 1880-1993, SARL de presse Nord-Demain, 1993, p. 23.
  9. « Discours de Karl Liebknecht le 12 juillet 1914 à Condé-sur-l’Escaut », sur critique-sociale.info
  10. « http://www.patrimoine-de-france.org/oeuvres/richesses-72-20000-136297-M127341-326860.html » (Archive Wikiwix Archive.is Google Que faire ?)
  11. Population municipale légale en vigueur au 1er janvier 2019, millésimée 2016, définie dans les limites territoriales en vigueur au 1er janvier 2018, date de référence statistique : 1er janvier 2016.
  12. http://cassini.ehess.fr/cassini/fr/html/fiche.php?select_resultat=25193
  13. https://www.insee.fr/fr/statistiques/3293086?geo=COM-59153
  14. http://www.insee.fr
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