カトリック宮津教会

カトリック宮津教会(カトリックみやづきょうかい)は、京都府宮津市宮本にあるカトリックキリスト教会[1]京都司教区に属する。聖ヨハネ天主堂は京都府指定有形文化財。

カトリック宮津教会
カトリック宮津教会の位置(京都府内)
カトリック宮津教会
情報
用途 カトリック教会
設計者 ルイ・ルラーブ
施工 太井正司
構造形式 木造
階数 平屋建
着工 1895年
竣工 1896年
開館開所 1896年
所在地 京都府宮津市字宮本500番地
座標 北緯35度32分6.6秒 東経135度11分42.3秒
文化財 京都府指定有形文化財
指定・登録等日 2019年
カトリック宮津教会
所在地 京都府宮津市
日本の旗 日本
教派 カトリック教会
歴史
創設日 1888年 (1888)
創設者 ルイ・ルラーブ

沿革

ルラーブ会館

1885年(明治18年)に日本にやってきたフランス人宣教師であるルイ・ルラーブ神父は、1888年(明治21年)に与謝郡宮津町での伝道を開始する。ルラーブ神父は福井県南部(若狭)から兵庫県北部(但馬)までの範囲を受け持っていた[2]。1895年(明治28年)に地元の有力者である田井五郎衛門から土地の寄贈を受け[2]、1895年(明治28年)に聖ヨハネ天主堂の建設に着工すると、1896年(明治29年)に竣工、宮津カトリック教会の献堂式が行われた[1][3]

1907年(明治40年)には教会の敷地内に宮津裁縫伝習所(京都暁星高等学校の前身)が設立された[2]。1927年(昭和2年)には北丹後地震でこの地域が大きな被害を受け、戸塚文卿神父を中心とするカトリック医療団が救護活動を行った[2]。1932年(昭和7年)には聖母訪問会が宮津町を訪れ、1933年(昭和8年)には宮津暁星裁縫学校(京都暁星高等学校の前身)が開校した[2]。1935年(昭和10年)にはルラーブ神父の来日50周年が祝われ、1936年(昭和11年)には宮津暁星幼稚園が開園した[2]。1941年(昭和16年)にはルラーブ神父が83歳で死去した[2]

1950年(昭和25年)から宮津教会はレデンプトール会が担当するようになった[2]。1989年(平成元年)にはルラーブ神父が宮津を訪れて100周年の記念行事として、信徒会館であるルラーブ会館が建設された[2]。1996年(平成8年)5月6日には京都教区長の田中健一司教によって献堂100周年の記念ミサが捧げられた[2]

2019年(令和元年)、聖ヨハネ天主堂の京都府指定有形文化財への指定が答申され[4][5]、2021年(令和3年)11月5日の告示で正式に指定された[6]

建築

東面

聖ヨハネ天主堂は木造平屋建であり、三廊式バシリカ形式が採用されている[1]。建築面積は210平方メートル[1]。設計はルラーブ神父自身であり、施工は地元の大工である太井正司[1]ロマネスク様式を基調としており、交差ヴォールトの形状を模した天井、クロケット・キャピタルを持つ独立柱など、細部にわたって装飾性が高い[1]。円柱には欅材が用いられ[7]、床は畳敷きであるなど[1]、和洋折衷の教会建築である[7]

建築形式や手法には1890年(明治23年)に完成した京都河原町カトリック教会(現在は愛知県犬山市明治村に移築)との共通点が多い[1]。天主堂は小規模ではあるものの、長崎県長崎市大浦天主堂に匹敵するほど古いものであり[3]、「日本で2番目に古いカトリック天主堂」[2][8]、「現役では日本最古の木造教会堂」とされる[7][9]。1927年(昭和2年)の北丹後地震では一部が損傷し、玄関周りや外壁仕上げなどが改修された[1]。京都府文化財保護基金によって「京都の明治文化財」に指定されている[3]。信徒のほかに、観光客が年間1万人ほど訪れるという[10]

基本情報

脚注

  1. 『京都大事典 府域編』淡交社、1994年、pp.509-510
  2. カトリック宮津教会(京都教区) 聖パウロ女子修道会
  3. 『郷土資料事典 26 京都府』人文社、1997年、p.295
  4. 府文化財 新たに17件 宮津カトリック教会天主堂も」『毎日新聞』2019年2月25日
  5. 京都 府文化財に17件指定 宮津カトリック教会など」『朝日新聞』2019年2月25日
  6. 令和3年11月5日京都府公報 (PDF) より京都府教育委員会告示第8号(リンクは京都府ホームページ)。
  7. 米山勇(監修)『日本近代建築大全 西日本編』講談社、2010年、p.139
  8. 日本で2番目に古い天主堂 カトリック宮津教会 宮津市
  9. 大浦天主堂は1965年に木造で竣工したが、1879年に煉瓦造に改築されている。
  10. 宮津カトリック教会 聖ヨハネ天主堂 里地ネットワーク

外部リンク

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