エ・テメン・アン・キ
エ・テメン・アン・キ(シュメール語:É-TEMEN-AN-KI、Etemenanki)(「天と地の基礎となる建物」という意味)は、メソポタミア文明の中でも最古の文化を築いたと言われるシュメール人が建設を開始し、工事が中断していた(あるいは、規模が小さかった、荒廃していた)ものを[1]、カルデア人の王国である新バビロニア王国時代に、紀元前7世紀末にナボポラッサル王が再建に着手し、紀元前6世紀前半にその長男、ネブカドネザル2世王の時に完成した、バビロンのエサギラ(マルドゥクの神殿)の中心部に築かれたジッグラト(聖塔)のこと。
マルドゥクは、バビロニア王にエサギラの修復を命じ、神殿の土台を冥界の奥深く堅く定め、その頂を天と等しくするよう要求したという。
底面約91メートル×約91メートル、高さ約90–91メートル(高さは推定)の7層建てであり、各層が七曜を表し、1階が土星、2階が木星、3階が火星、4階が太陽、5階が金星、6階が水星、7階が月であった。これはバビロニアの天文学では、地球から遠い順に、「土星・木星・火星・太陽・金星・水星・月」と考えられていたことに基づく。各層には神室があり、頂上(7階)には神殿(至聖所)があったと推測される。
これらのことは、シェーンコレクション(ノルウェーの実業家マーティン・シェーン (Martin Schøyen) が設立した書物収集団体)が所有する、紀元前604–562年頃の黒い石碑に刻まれた碑文と絵と、現在はバビロンの遺跡にわずかに残る遺構から判明している。 この遺構はドイツ人のローバート・J・コルデヴァイ(Robert Johann Koldewey)によって20世紀初頭に発見された。
現代の学者(Stephen L. Harris、カリフォルニア州立大学サクラメント校)などによれば、旧約聖書「創世記」のバベルの塔の挿話は、バビロン捕囚時代に、エ・テメン・アン・キに影響されたと考えられている。
脚注
- これはシンアルの地でのバベルの塔の建設を神が人々の言葉を乱すことによって中断させたことを史実とする、聖書原理主義的な記述だと考えられる。