エツィオ・ロイク
エツィオ・ロイク(Ezio Loik, 1919年9月26日 - 1949年5月4日)は、フューメ出身の元イタリア代表サッカー選手である。
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名前 | ||||||
カタカナ | エツィオ・ロイク | |||||
ラテン文字 | Ezio Loik | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | イタリア | |||||
生年月日 | 1919年9月26日 | |||||
出身地 | イタリア領フューメ | |||||
没年月日 | 1949年5月4日(29歳没) | |||||
身長 | 178cm | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | MF | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
1936-1937 | フィウマーナ | 41 | (12) | |||
1937-1940 | ミラン | 53 | (10) | |||
1940-1942 | ヴェネツィア | 60 | (13) | |||
1942-1949 | トリノ | 176 | (70) | |||
代表歴 | ||||||
1942-1949 | イタリア | 9 | (2) | |||
1. 国内リーグ戦に限る。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
1940年代に"Grande Torino" (偉大なるトリノ)と呼ばれたACトリノでもプレーした。
経歴
1919年9月26日、当時イタリア領であったフューメ(現リエカ、クロアチア)に生まれる。地元クラブであるフィウマーナでキャリアをスタートし、1937年にミランに移籍してセリエAデビューした。
1940年にヴェネツィアへ移籍すると、1940-41シーズンには初タイトルとなるコッパ・イタリアを獲得。1942年にはヴァレンティーノ・マッツォーラらと共にトリノへ移籍し、第二次世界大戦によるリーグ休止を間に挟んだもののセリエAを5連覇した。
1949年5月4日、リスボンで行なわれたベンフィカとの親善試合後、トリノの選手やスタッフが乗った飛行機が墜落事故を起こす。スペルガの悲劇と呼ばれる飛行機事故によって、当時29歳であったロイクも命を落とした。
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