イヴァン・ドミトリエヴィチ (ルィリスク公)
イヴァン・ドミトリエヴィチ(・シェミャーキン)(ロシア語: Иван Дмитриевич (Шемякин)、1446年以前 - 1471年以降)は、モスクワ大公ドミトリー・シェミャーカの子である。ルィリスク公、ノヴゴロド・セヴェルスキー公。
イヴァン・ドミトリエヴィチ Иван Дмитриевич | |
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ルィリスク公 ノヴゴロド・セヴェルスキー公 | |
在位 | 1454年 - 1471年以降 |
出生 |
1446年以前 |
死去 |
1471年以降 |
子女 | ヴァシリー |
家名 | リューリク家 |
父親 | モスクワ大公ドミトリー・シェミャーカ |
母親 | ソフィヤ・ドミトリーヴナ・ザオゼルスカヤ |
宗教 | ロシア正教 |
生涯
1453年に父が死ぬと、ノヴゴロドからプスコフへ移り、さらにリトアニア大公国に属した。1454年、リトアニア大公兼ポーランド王カジミェシュ4世から、ルィリスクとノヴゴロド・セヴェルスキーを寄食地(コルムレニエ(ru))として受領した。一方、モスクワ大公国側はイヴァンを裏切り者として、イヴァンの受領を認めなかった。
イヴァンの死亡年は明らかではない。イヴァンには4人の息子がいたが、イヴァンの公位は末子のヴァシリー(ru)に継承され、その相続はモスクワ大公に承認された[1]。
出典
- Ковалёв-Случевский К. П. Юрий Звенигородский, великий князь Московский. Москва: Молодая гвардия. 2008
参考文献
- Иоанн Димитриевич Шемякин // // Энциклопедический словарь Брокгауза и Ефрона (ブロックハウス・エフロン百科事典): в 86 т. (82 т. и 4 доп.). — СПб., 1890—1907.
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