イウリアニヤ・アレクサンドロヴナ

イウリアニヤ(ユリアニヤ、ウリヤナ)・アレクサンドロヴナロシア語: Иулиания(Юлиания,Ульяна) Александровна、1330年頃 - 1391年3月17日[1])はトヴェリ大公アレクサンドルの娘である。リトアニア大公アルギルダスの二番目の妻であり、ヤギェウォ朝の祖ヨガイラ、リトアニア大公シュヴィトリガイラなどの母となった。

イウリアニヤは、父アレクサンドルプスコフへ亡命していた期間に誕生した。父アレクサンドルの亡命は、1327年に起きた、ジョチ・ウルスに対する民衆蜂起であるトヴェリ蜂起の懲罰軍(ジョチ・ウルスならびにモスクワ公国軍)から逃れたものである。

1347年、イウリアニヤの姉マリヤ(ru)がモスクワ大公セミョーンと結婚すると、イウリアニヤはセミョーンの庇護を受けた[2]。1350年にアルギルダスと結婚し、リトアニア大公妃となった。ヴィテプスクを領有したイウリアニヤは、精霊修道院(ru)、神現教会、ヴィテプスクで最初の女子修道院などの建設、ミハイル教会の改修など、都市の正教建築物に力を入れた。また、ヴィリニュスにはニコライ教会(ru)、聖生の起源三者大聖堂(現・三位一体教会(ru))を建設した。また、イウリアニヤの統治期である1351年にはヴィテプスク城(ヴィーツェプスク城(ru))が強化され、以降300年間の都市防衛の役割を担った。

1377年に夫アルギルダスと死別した後は、リトアニア大公位を継いだ息子ヨガイラモスクワ大公ドミトリー・ドンスコイの娘・ソフィヤとの婚姻、ならびにヨガイラの正教徒への改宗(なお、この段階ではヨガイラは非キリスト教徒)によって、リトニア・モスクワ間の同盟を図ろうとした[3][4]。ただしヨガイラは1386年にポーランド女王ヤドヴィガと結婚し、カトリック教徒となっている(クレヴォ合同)。

1383年に修道女となり、マリナもしくはマルファ(Марина, Марфа)の修道名を得た。死亡年は1391年であるが、埋葬地はヴィテプスク(現ヴィーツェプスク)の精霊修道院[5]、ヴィリニュスの聖母大聖堂(ru)[6]、『ニコン年代記』の記述に従うキエフ・ペチェールシク大修道院[7]など諸説ある。

2018年12月5日、ウクライナ独立正教会により列聖された[8]

ヤン・テンゴウスキの説では[9]、夫アルギルダスとの間に以下の子がいる(ラテン文字表記はリトアニア語。ミニガイラ、エカテリーナはロシア語表記に基づく)。

出典

  1. Калечиц, И. Л. Исторические личности в граффити Полоцкой Спасо-Преображенской церкви. Музеефикация комплекса настенной живописи ХІІ—ХІХ вв. Спасо-Преображенского храма Евфросиньева монастыря в Полоцке C. 6.
  2. Baronas, Darius "LDK istorija: Algirdo antroji žmona Julijona – savo valandos sulaukusi našlė". Savaitraštis „15min“ 2013.4.7.
  3. Gieysztor, Aleksander (1998). "The Kingdom of Poland and the Grand Duchy of Lithuania, 1370–1506". The New Cambridge Medieval History, c.1415–c.1500. Vol. 7. Cambridge University Press. p. 731.
  4. Kiaupa, Zigmantas; Kiaupienė, Jūratė; Kunevičius, Albinas (2000). The History of Lithuania Before 1795. Vilnius: Lithuanian Institute of History. pp. 127–128.
  5. Свято-Духов женский монастырь Витебская епархия
  6. Narbutt,Teodor. Lietuvių tautos istorija. Vol. 5. Mintis. p427. 2001.
  7. Platonov, Sergey, ed. VIII. Летописный сборник, именуемый Патриаршею или Никоновскою летописью. Complete Collection of Russian Chronicles (in Russian). Vol. 11. p. 127. 1897.
  8. О канонизации святой благоверной великой княгини Иулиании Александровны Тверской и Литовской — МузееМания"
  9. Tęgowski J. Pierwsze pokolenia Giedyminowiczów — Poznań-Wrocław, 1999. — S. 308—311.
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