アーネスト・ダウスン
略歴
ロンドンに近いケントのリー生まれ。1888年にオックスフォード大学を中退しフランスに遊んだ。ウォルター・ペイターの影響を受け、詩や小説を書き、イェイツの属する「ライマーズ・クラブ」で詩人たちと交わり、文芸誌「イエローブック」や「サボイ」に積極的に寄稿[1]。ポーランド人の飲食店の娘アデライード・ポルテノウィッチに恋して肺を病み、詩集を彼女に献呈したが失恋。また、失恋に先立ち1894年に父親が、翌年に母親が自殺しており、悲劇に打ちのめされたダウスンは酒に溺れ、身体は病魔に蝕まれ32歳で夭折した[1][2]。
作品集(日本語訳)
伝記
- 南條竹則『悲恋の詩人ダウスン』集英社新書 2008年
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