アン・スミス

アン・スミスAnne Smith, 1959年7月1日 - )は、アメリカテキサス州ダラス出身の元女子プロテニス選手。ダブルスの名手として活躍し、4大大会で女子ダブルス5勝、混合ダブルス5勝を挙げた。とりわけ、1980年から1981年にかけて同じ年のキャシー・ジョーダンと一緒に女子ダブルスの「キャリア・グランドスラム」を達成した点が傑出している。WTAツアーでシングルス2勝、ダブルス38勝を挙げた。自己最高ランキングはシングルス12位、ダブルス1位。

アン・スミス
Anne Smith
マルチナ・ナブラチロワとアン・スミス
基本情報
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地 同・テキサス州ダラス
生年月日 (1959-07-01) 1959年7月1日(63歳)
身長 165cm
体重 59kg
利き手
ツアー経歴
デビュー年 1978年
引退年 1992年
(2005・06年短期復帰)
ツアー通算 40勝
シングルス 2勝
ダブルス 38勝
生涯通算成績 447勝286敗
シングルス 224勝186敗
ダブルス 223勝100敗
生涯獲得賞金 1,165,074 アメリカ合衆国ドル
4大大会最高成績・シングルス
全豪 ベスト8(1982)
全仏 ベスト16(1979-82)
全英 ベスト8(1982)
全米 ベスト8(1981)
4大大会最高成績・ダブルス
全豪 優勝(1981)
全仏 優勝(1980・82)
全英 優勝(1980)
全米 優勝(1981)
優勝回数 5(豪1・仏2・英1・米1)
4大大会最高成績・混合ダブルス
全豪 ?(?)
全仏 優勝(1980・84)
全英 優勝(1982)
全米 優勝(1981・82)
優勝回数 5(仏2・英1・米2)
キャリア自己最高ランキング
シングルス 12位
ダブルス 1位
テンプレート  プロジェクト テニス

来歴

アン・スミスは18歳の時、1977年全仏オープンジュニア女子シングルスで優勝し、この部門で最初のアメリカ人優勝者となった。1978年にプロ転向。1980年から1981年にかけて、スミスは同じ年のキャシー・ジョーダンとダブルスでペアを組み、1980年全仏オープンウィンブルドン1981年全米オープンと(当時は年末開催だった)全豪オープンで優勝し、同一ペアによる女子ダブルスの「キャリア・グランドスラム」を達成した。1980年全仏オープンでは、同じアメリカのウィリアム・マーティンとペアを組んだ混合ダブルスでも優勝し、2部門制覇を果たしている。1981年全米オープンで自身2度目の2部門制覇をした時は、混合ダブルスで南アフリカケビン・カレンと組んで優勝した。1982年全仏オープンの女子ダブルスでマルチナ・ナブラチロワとのペアで優勝し、ウィンブルドン全米オープンではカレンとのペアで混合ダブルス2連勝を達成した。スミスとカレンの組は、全米オープンで混合ダブルス2連覇を達成したことになる。スミスはいろいろなタイプの選手たちとダブルス・パートナーを組み、その中には大ベテランになったビリー・ジーン・キング夫人さえも含まれていた。

シングルスでのアン・スミスは、1981年全米オープン1982年ウィンブルドン1982年全豪オープンで3度のベスト8進出がある。全仏オープン1979年から1982年まで4年連続のベスト16に入ったが、上位に勝ち進むことができなかった。1982年のウィンブルドンだけは、敗れた相手は西ドイツベッティーナ・バンジであったが、他の2度はマルチナ・ナブラチロワに完敗した。ナブラチロワは20歳代後半に入った1980年代前半から全盛期を迎えており、ダブルス・パートナーとしては心強い存在であったが、シングルスでは全く歯が立たなかったのである。

1984年全仏オープン混合ダブルスで、アン・スミスは同じアメリカディック・ストックトンとペアを組んで4年ぶり2度目の優勝を果たす。これが彼女の最後の4大大会ダブルス優勝になった。1985年に「テキサス・テニス殿堂」入りを果たし、シングルスでは1991年、ダブルスでは1992年まで現役を続行した。その後、彼女は2005年-2006年の2年間アメリカ国内のITFサーキット大会に再挑戦し、ダブルスでは1勝を記録した。その後、彼女はスタン・スミスと組んで全米オープンの「レジェンド部門」混合ダブルスに出場し、2007年2008年の2年連続で優勝を遂げている。

4大大会ダブルス優勝

  • 全豪オープン 女子ダブルス:1勝(1981年)
  • 全仏オープン 女子ダブルス2勝(1980年・1982年)/混合ダブルス:2勝(1980年・1984年)
  • ウィンブルドン 女子ダブルス:1勝(1980年)/混合ダブルス:1勝(1982年)
  • 全米オープン 女子ダブルス:1勝(1981年)/混合ダブルス:2勝(1981年&1982年)

外部リンク

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