アンテフ6世
アンテフ6世(Intef VI, 在位:紀元前1571年頃 - ?)は、古代エジプト第17王朝の第4代または5代ファラオ(王)。史料によってはアンテフ7世とも呼ばれる。即位名はネブケペルラー。
アンテフ6世(7世) | |
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Intef VI (VII) | |
ネブケペルラーの木棺(大英博物館蔵) | |
古代エジプト ファラオ | |
統治期間 | 紀元前1571年頃 - ?,エジプト第17王朝 |
前王 | アンテフ5世(6世) |
次王 | アンテフ7世またはセベクエムサフ2世 |
ファラオ名 (五重称号)
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配偶者 | セベクエムサフ |
父 | セケムラー・シェドタウイ・セベクエムサフ |
概要
記録に乏しい第17王朝時代で最も多くの記録が残っている王の一人である。上エジプト各地の多くの寺院を修復し、自らの名を刻んでおり、新しい神殿も築いている。コプトスの碑文の日付から、少なくとも3年間は統治したと考えられる。彼の行った事業の数を考慮するとこれよりもかなり長期間在位していた可能性もある。
家族構成
先代のアンテフ5世が残した碑文から、先代の王とは兄弟だったとされる。また、同時代の神殿碑文から、二人は同じ王朝のセケムラー・シェドタウイ・セベクエムサフ(セベクエムサフ1世もしくは2世)の息子であった事も判明している[1]。王妃セベクエムサフは「王の姉妹」という称号を与えられており、この王は後継者のアンテフ7世かセナクトエンラーである可能性がある[2]。
脚注
注釈
- クレイトンは『ファラオ歴代誌』にてアンテフ7世と呼んでいる[3]。
出典
- ドドソン, ヒルトン 2012, p.118
- ドドソン, ヒルトン 2012, p.119
- クレイトン 1999, p.119, p.124
- クレイトン 1999,p.124
参考文献
- ピーター・クレイトン『古代エジプトファラオ歴代誌』吉村作治監修、藤沢邦子訳、創元社、1999年4月。ISBN 978-4-422-21512-9。
- エイダン・ドドソン、ディアン・ヒルトン『全系図付エジプト歴代王朝史』池田裕訳、東洋書林、2012年5月。ISBN 978-4-88721-798-0。
- K.S.B. Ryholt, The Political Situation in Egypt during the Second Intermediate Period, c.1800-1550 BC (Carsten Niebuhr Institute Publications, vol. 20. Copenhagen: Museum Tusculanum Press, 1997).
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