アミュンタス2世
アミュンタス2世(希:Ἀμύντας Β、ラテン文字転記:Amyntas II、紀元前5世紀)は、マケドニア王国の王位請求者である。
アミュンタスはマケドニア王アレクサンドロス1世の子ピリッポス(王にならなかった)の子である。アミュンタスはオドリュサイの王シタルケスの援助を受け、当時のマケドニア王ペルディッカス2世(アレクサンドロス1世の子でアミュンタスの伯父にあたる)から王位を奪わんとしてマケドニアに侵攻した(紀元前429年)[1][2]。しかし、ペルディッカスや周辺のギリシア人ポリスの抵抗、糧秣の不足、冬の到来のため、シタルケスはペルディッカスと講和の上撤退したため、アミュンタスは梯を外される形となった[3][4]。その後のアミュンタスについては不明である。
註
- トゥキュディデス, II. 95
- ディオドロス, XII. 50
- トゥキュディデス, II. 101
- ディオドロス, XII. 51
参考文献
- ディオドロスの『歴史叢書』の英訳
- トゥキュディデス著、藤縄謙三訳、『歴史』(1)、京都大学学術出版会、2000年
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